この季節になると命について自然に考えていたりする。
蝉が上手く脱皮できずに、
殻に閉じこもったまま死んでいるのを見るにつけ
普段は考えない思いにとらわれたりするのだ。
それでなくても地上に出てからがほんのわずかな蝉の命、
飛ぶことさえ適わなかったことが哀れだ。
その上、今年はカラスだ。
7月も終わりの巣立ちは、やはり遅過ぎる。
この場所は強い風が舞うことが多いので危険も多い。
その上、この灼けつく暑さだ。
飛べないうちから練習しだすのだから、
ここは練習場所としては最悪だ。
子を思う親の姿に心が痛むこともある。
本格的な巣立ちに際し、
飛ぶ為に身体を軽くしようと親は子に食べ物を与えない。
その上で食べる為の物をどうやって得るのかも教えていく。
そうして子は、
まだまだ一人前とは言い難い頃に親から突き放される。
弱った子は、
食べ物を与えられず、学習も出来ないままに
親から突き放されることになる。
弱り、立つことも出来なくなった子が、
ひたすらに親を呼ぶ声は哀れだ。
しかし、親は遠くを見つめたまま
空高く舞っているだけだ。
鳴き叫ぶ子に
最早、心動かない親の自然の摂理もまた
哀れに思えて仕方がない。