2014年2月8日土曜日

ブログ空白の間に ( 2 〜現在 )


私には想像すら出来なかったのですが
最初に話が舞い込んで来たのは
言わば育児放棄された
3歳に満たない小さなトイプードルの男のコでした。

若い上に小さなサイズのトイプードルが放棄される。
でも、行き先が無いとは
信じ難い話ではあったのですが
それが真実であり、
そして私に一番に届いた犬の存在でした。

私でなくても……という思いは最後の最後まで離れませんでした。

だけど、いらないと言われ続けて暮らしているのだから
幸せとは言えない。
これが最初の縁のコでしょうと
我家に迎えることに決定したのです。

そして、 うぅた は やって来ました。

汚れた大きな老犬ではなく
若く小さなテディベアカットのトイプードルの男のコでした。

初対面の私に、ほんの少し警戒する様子はありましたが
程なく、ひざの上に座るようになりました。

拍子抜けする位の軽い小さな身体を抱き
不憫に思いました。
幸せにしようと思う気持ちになりました。

若く元気だということは
今までとは全然違います。

私は何の心配も不安も抱かず
楽勝とさえ言える気持ちでいたのです。

それが、いけなかった……。

楽勝と言えたのはうぅたの方で
私は苦戦を強いられることのなるのです。

闘い。
私にとっては闘いの日々の始まりでした。




2014年1月4日土曜日

初春のお慶びを申し上げます。


旧年中は一昨年と何等変わることのない私の慌ただしさに、
あたたかくお付き合い下さり、本当に有難うございました。
心より感謝致しております。

大切な犬を亡くしてしまうことは
私の根本を揺るがすようなことになり
如何に犬の存在が大きく、如何にその支えが強いものかを
幾度も幾度も痛感する一年でした。


私は犬無くして一人前の人間にはいたりません。
大切な、日々の営みに必要な
何等かの要素を
犬に与えられ、埋められ、
時に道を指し示され、時に後押しされながらの
人間です。

そんな犬が共にあることに喜びを感じ
感謝と共に、不器用ながらも前進していきたいと思います。

今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。




2013年4月2日火曜日

ブログ空白の間に ⑴


ディーフがいなくなって
私の生活が何か変わったかというと
何も変わりはしない。
毎日が淡々と、ただ淡々と過ぎていくだけのことだ。

その淡々さにつまらなさを感じ始めたのは
少しは前進している証拠なのだと思う。

“ 自分の感受性くらい自分で守ればかものよ ” だ。

もしまた犬が目の前に現れて
そしてその犬が、命の危険にさらされているとしたら
出会った一番最初の犬を迎えることにしようと
心に決めた。
決めることを決めた。

そう決めたにもかかわらず、
正直、その犬の風貌がディーフに似ていてくれたらと
未練たらしく何度も頭をよぎっていた。

そんな思いを追い払いながら
今までやって来た犬の境遇なんかを思い起こして
架空の犬を想像し始めた。

大きくて
汚れていて
高齢の雑種。

眼差しまでリアルに想像したりしたけど
現実は全然違った。

全然、全然違っていた。



2013年2月2日土曜日

ぬいぐるみ


果物ならば、熟し過ぎて木からボタッと落ちてしまうような
そんな年齢になってしまった。

カミングアウト的に言うと
その上で、未だにぬいぐるみが好きだ。

客観的にみて気持ち悪いと思っている。

同じような年格好の人がぬいぐるみを見るなり抱くなりして
「 カワイイ 」とか言ってたら…と想像すると、イヤだ。

イヤだけれど、そんな風に熟して落ちてしまったのだから仕方がない。

ただでさえ好きなのに、
そんな私はフランケンウィニーを観て、スパーキーを買いまくった。
そう、買いまくったのだ。

何故ならスパーキーは事故死した後、生き返ったから。
私にとっては叶うことのない願いの象徴だからだ。

昔にペットセメタリーを読み、
そして映画も観ていた私には
あんなゾンビみたいなのではなく、
生きていた時と少しも変わりがないキャラクターということが
最上級の素敵な点だった。

そして、次に来たのがテッドだ。
元からぬいぐるみではあるが、
生きて、死んで生き返った。
キャラクターもそのままに。
これもまた象徴じゃないのさ。

あゝ どうすりゃいいんだ。



2013年1月16日水曜日

喜びと楽しみと可笑しさ


めっきりブログネタが減ってしまった。

殆どがバカなお話で出来上がっていたので
そのバカ話が無くなったからだ。

いや、バカ話ではなく
そのバカ話のオオモトが居なくなったからだ。

あの犬のせいだ。

私から喜びと楽しみと可笑しさの要素が減ったのだ。

一旦手に入れたこれらのものが無くなった今、
とても感受性が乏しくなったようで
とてもつまらない人になったようで
今更ながら、あの犬の存在の大きさを噛みしめている。

結局、犬とはそういうものなんだろう。

失って初めてわかる親の有難さと同じだ。

本当に同じなんだから……




2013年1月12日土曜日

慎んで、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。


一月ももう半ばになろうとしている今になって
新年のご挨拶をすることは大変恥ずかしく感じております。

しかしながら先ずは、ご挨拶させて頂きます。

旧年中は大変お世話になりました。

八月から後半にかけて
怒濤の如く変化があり
その都度、ご迷惑をおかけ致しました。

温かいお言葉と励ましのお陰で
何とか乗り切ることができました。

本当に有難うございました。

お預け頂くコたちも例年以上となり、
引き続き現在も多くのコたちをお預かりさせて
頂いております。

遠方よりお越し頂いたり、
懐かしいお顔も拝見することができ
嬉しく感じることの多い新たな年となりました。
重ねて御礼申し上げます。

犬の為にできることを
自分なりに考え励んで参ります。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。




2012年12月8日土曜日

朝の風景


自宅からしばらく行くと小学校があります。
そのすぐ近くにある小さな横断歩道には
1人の男性が立っておられます。
たまにしか通らないのですが
私がその方を見かけるようになって
もうすぐ1年位になると思います。

とても元気に「 おはようございます 」と
子供たちにだけではなく出勤に急ぐ通行の人たちにも
声をかけられていました。

次に、一人一人に一歩足を踏み出し
少し手を添えるような感じで
挨拶されるようになりました。

その方が学校の関係者かどうかはわかりません。
子供たちが進んで自分たちから
挨拶しているようには見えなかったので
先生だとは思えません。
だから、何者なんだろうと思っていました。
正直、少し変わった人のように感じていました。
声をかけられた人たちも俯いて通り過ぎるような
そんな感じに見えました。

その道をしばらくぶりに今朝通りました。
今日もその横断歩道の所に見かけました。
元気な様子が遠くからでもわかるほどでした。

近くを通りかかった時に驚きました。
声かけと共に一歩足を踏み出し
そしてハイタッチの手を差し出されているのです。
その手に何とおじいちゃんが
自転車のおじさんまでも
そして、足早のおばちゃんも
綺麗なお姉ちゃんも
絶対しそうにないお兄ちゃんも
子供たちは元気に
ハイタッチをしていくのです。
ちょっと恥ずかしそうにしながらも
みんな微笑んでいます。

その笑顔が良かったんですよねぇ。
驚いていた私の心が温かくなりました。

私の住む街の朝の風景が素敵になっていました。