2012年9月20日木曜日

素朴な疑問シリーズ第5、第6、第7弾一挙公開。


振り返ってみるとこの素朴な疑問、
第3弾が2つもありました。
素朴過ぎて自分でも数えとらんということでしょうか?
しかし、3ごときで数え損なう私は一体何なんでしょうか?
知らず知らず4を縁起が悪いと
とばす歳になっているからでしょうか?

いやいやこの3つで5、6、7弾ではありませんよ。

あくまで犬の男のコの話なので
そこのところはよろしくお願い致します。

お泊りでお預かりした時の男のコの大半に言えることですが
大抵の場合、朝一番のお散歩では
外でしかトイレをしないコはそれ相応にオシッコを我慢して
待ってくれています。

我慢していたかどうかわかるのは
最初の出る勢いと最終的にどれだけの量が出たかで大体予想はつきます。

あぁ、それなのにです。

結局用を足した場所は、そこら辺と何ら変わることのない
どうということもない場所。
にも関わらず、何のこだわりを持って
そこまで我慢に我慢を重ねてまで
場所の特定に無駄な時間を費やすのでしょう?

それでもって尚且つ、
そこまでの我慢を重ねて選りすぐった場所であるにも関わらず
全てを出し切ることなく
しかも、驚くべきことに
あの勢いの最中に、
何事もなかったかのように
ことも無げに
鼻歌交じりで
ピタッ‼ と止めることができるのが不思議でなりません。

後の残りは、あれだけのこだわりをかなぐり捨て
散々却下した場所ということも一切忘れて
極々適当、ちゃらんぽらんに済ませます。

最初が肝心の言葉は犬の排尿行為からできたのかと思うほどです。

お散歩の付き添いである私はガクッと肩が落ち
必ず「 何でなん? 」と声が出てしまいます。

答えが返ってきたためしがないので
私の疑問は永遠に疑問のままでしょう。

この場をお借りしてお願いできるならば
どうか1ヶ所で全て出し尽くしておくれという
ことです。

いや、私的にはとても真面目な話です。



すんごい大変だった8月の中、考えたこと。


先ずは8月がどう大変だったのかを説明するべきだとは
思うのですが
想定外の事態の上に想定外の事態が重なり
早朝から深夜まで休む間も無く動いていたような
そんな感じで、何が何やら無茶苦茶で
今となっては、大変だった苦労話よりは
そんな中から生まれた前向きな思いが大切なのだと思い
そこのところだけご報告したいと思います。

最終的には
仕事面においては想定外の事態も全てをチャンスと捉え
高齢犬のケア面をより充実させる体制をとることに決めました。

新たに仲間を得ることもできましたし、
何よりも求めて下さる方々に背中を押して頂いたような
そんな出来事が重なる不思議な体験もしました。

年をとった犬のことをみてくれる所が無い。
嫌がられる。
断られる。
こわがられる。
という声に対し
受ける側が確かに敬遠することを私も知りました。

落胆だけではない思いが残るものです。

うちのコならどうするか?
うちのコならこうしてあげたい。
こうするだろう。
ということを懸命にしたいと思います。

今となっては幸運にも看護士を経験し、
30年間どれだけのコの看護、介護をしてきたか数えられません。
経験で得たものは大きいです。
介護する側の人の気持ちも辛さもよくわかります。
犬を看ることと同時に人の支えも必要なのです。

疲れきった時に私の顔が浮かんだとお電話頂いたことは
大きな後押しになりました。

それから従来のトリミングと違う視点のトリミングもします。
弱った皮膚の状態の場合、シャンプー剤は勿論ですが
お湯の温度やドライヤーの温度、使うブラシやクシの素材にも
注意が必要です。
それに、爪の減り方、毛の切れ方、筋肉のつき方、
心臓、脈拍、血圧の状態、呼吸の仕方などで
気が付くことが沢山あります。
このことで、短期間に幾度も喜んで頂けることがありました。
これも大きな後押しでした。

1ヶ月ほどに、こんなに集中するのは今までには無く、
少し思いを話してみると、元気なコのお家の方なのに
有難うございますと仰って頂きました。
少し足が弱ってきたようで不安だったそうです。


より私らしいことを私らしくしていきたいと思います。

これが大変だった中で、少しずつ形を持ち始め、
並行して既にお預かりやデイケア、ケア美容をしてきています。

この内容をお配りする予定です。

その為に、もう少し時間と元気が必要な今の私です。
確かに甘ったれとります。



2012年9月18日火曜日

........無題


わたしの相棒、D.ph が逝きました。
逝くという文字を使いましたが
わたしの心にはその文字はありません。

特徴のあるとんがり頭のお骨を見て
あのコなんだと思ったはずが
現実味は全く無く
夢の中の出来事のような
そんな感覚が今は残っているだけです。

2007年6月の夜、
道路の真ん中を車の流れと逆走するという
およそあの犬には似つかわしくないような
そんな大胆な登場の仕方で
突然、目の前に現れたのがわたしの犬D.phです。

そして、今度は逆のパターンで
出掛けて行ってしまいました。

正直、車の助手席にも
家にも
仕事場にも
姿が見えないということは
絶望と恐怖をもたらします。

いないという空間の存在は
強烈な痛みを伴って
打ちのめしにかかってきます。

降参です。

出会ったあの日のように
今もどこかを歩いているような気がして
そして又突然目の前に現れてくれると願う毎日が
この先永遠に続くことになるのでしょう。


出会った時の運命の天秤の、
わたしではないもう一方には
野良となった犬が迎える最期を載っけていました。

そんなことが絶対に起こらないように
必ず見つけるという気持ちを
おさえることができません。


犬は人生の宝となりました。

あらゆる局面で助けられたのはわたしの方でした。

暮らし始める犬が何歳になっていようと
何年共に暮らせることになるのかも
後になってみれば
そんなことはちっぽけなことです。
嘘だと思われるかもしれませんが本当です。
是非試してみてください。

犬がわたしを見つけてくれたこと、
共に暮らせた年月がわたしの人生において
かけがえのないものになったことを
犬に感謝しています。

思いがけない所で人生の宝が飛び込んで来てくれました。

こういう出会いがあることが
新しく犬を迎えられる方の選択肢の一つになればと
心から願います。


これくらい褒めておいたら
自慢気な顔で帰って来るに違いありません。

まったく、いい加減にしてもらいたいものです。