2011年12月31日土曜日

今年もまた一年お世話になりました。

今年一年 “Dog beside...” でも色々なことがありました。
いつもの年より多くのコとお別れがありました。
そしてまた多くの出会いもありました。

犬にとって
犬に対して
もっともっとしなければいけないことや
考えないといけないことが沢山あるのに
毎日のことでいっぱいになり
そしてその毎日の中で出会うコたちのためにも
もっともっとしなければいけないことや
考えないといけないことがあるにもかかわらず
まだまだ足りないことだらけです。

せめて
お客様との会話の中から
ちょっとした行動や仕草の中から
あのコ達が発するサインは見逃さないように
もっともっと励んで参ります。

少しでも多くのコに
オヤツはくれないけれど
それでもよその人の中では
一番好きな人間と思われるようになっていきたいと思います。



今年も本当にお世話になりました。
有難うございました。
来年もまたどうぞ宜しくお願い致します。

良いお年をお迎え下さい。

ぎっくり腰その後のその後。

恐らくあちらのあのコ達も
支えきれなかったに違いありません。

一週間後、再びのぎっくり腰です。
今度はもう自己記録更新の凄さというか
凄まじさでした。

休んでる場合では無いので
トイレに行く以外はずっと車の中にいて
送迎に専念しています。
といっても
申し訳ないことに
伺った先々でワンちゃん達を
乗せて貰ったり降ろして貰ったりを
お客様にお願いし、助けて頂く始末で
本当にご迷惑をおかけしております。
申し訳ありません。
お陰様でどうにか杖で歩けるようになりました。

あのコ達だけではなく
沢山の方々から
あたたかいお気持ちを頂きました。

ご心配やご迷惑をおかけしておきながら何なんですが
兎角、犬たちとのことばかり考えがちな私ですが
人とのつながりを感じさせて頂いた年の瀬になりました。

2011年12月24日土曜日

ぎっくり腰その後

この時期ギックリしている場合ではないと
半べそで整体に行き、
後は気合いあるのみと呻きながら動いていたら
奇跡が起きた。

そんな話をしたら
奇跡なんかではなく、
勿論気合なんかではなく、
きっとあちらの世界から
あのコたちが助けてくれたんじゃないかと
友達が言ってくれた。

身体も弱い、
あかんたれだった私が
そうでなければおかしいと
言われてみればその通りで

そんな話を別の友達にしたら
やっぱりそう思うと言う。

よくわからないけれど

感謝の気持ちです。

そう言ってくれた友達と

そして、あのコたちに…。

2011年12月20日火曜日

犬の椎間板ヘルニア&私のぎっくり腰

師走。
3分の1も過ぎようかというこの時期。
恐らく一年で最も忙しくなる残り3分の1に突入する
そんな昨日。
ぎっくり腰になっているのは私。
過去の経験からしても
1、2を争う高ぎっくり度数。

情けない…。

1、2を争っているもう一つは
初めてこのぎっくり腰を経験した時のこと。

初めてなもので
これがかのぎっくり腰なるものだ
とも思わずにいた。

朝一番でお迎えに伺ったコは
高齢でかなり減量も必要なコではあったのだが
椎間板ヘルニアに最もなりやすい犬種の
ミニチュアダックスで
ようやく普通に歩けるようになったばかりの
ヘルニアくんだった。
悲しきかな抱っこのされ方がいけなかった。
元々腰に負担のかかりやすい犬種だと
普段から腰に負担をかけない抱き方が望ましい。
このコの場合、
ヘルニアくんだから尚更のこと。

そこで、腰に負担をかけない抱き方を説明していて、
実演するまでに至った。

運命とはこういうものだ。

「 身体が平行になるように
両腕でこう支えて、
こう抱っこしてあげて…
…………………………………………………………………………ぐっだしゃい。」


結局、何が、こう抱っこ っちゅう話ですわ。

2011年12月11日日曜日

犬と。

うちの犬の顔の毛の色がめっきりと白くなり始め、
「 もうお年? 」なんて言われることが多くなってきた。
お年頃をとうに過ぎたうちの犬は
確かにお年に違いない。
私の心臓がキュッとなる。

何時の間にか夏よりも秋。
若葉よりも落葉が似合うようになっていた。

眠る時間も長くなり、
お耳が遠くなったせいか少々の物音では目を覚ますことは無い。
眠りは深い。
つい見入ってしまう。

物腰も眼差しも柔らかくなり
やさしさに満ちている。

この先のことを考えると悲しくなるから
追い払うように
「あぁ~
流れる時の中で、より一層深まるわたしたちの絆~
なんてことは?」と目で問う私。

『ない。ない。』手だけであしらう犬。

2011年12月4日日曜日

12月

あっという間に12月だと思っていたら
その間に4日になっていた。
あっだけで4日。
どうりで早いはずだ。

年々ひどくなる一方だが
こんなにも地球の自転についていけていない。
ほんとだったら、とうの昔に振り落とされていたはずが
上手くできたもので私はガッチリと押さえ込まれている。

しかしまぁ、私の身体の主要なパーツ、
例えば頬やお尻やあれやこれや
一部分をとらえてズルッと
引っ張るのは止めてくれないだろうか。
目に見えない力のせいで
えらいことになってきているではないか。
その上、その力のすごいこと。
自分を重く感じるほどはやりすぎだと思う。

こんな場合、何処に言えばいいのだろうか?

2011年11月29日火曜日

オトナノススメ

ちょっとしたことがきっかけでライブで《怒髪天》を知り
少し古い歌になりますが
イッチョマエに疲れた時にというか
そりゃそうだの年齢を感じたり
お馴染み真面目欠乏症の時に
ちょくちょくパワーを貰う《オトナノススメ》

オトナはサイコー!
オトナはサイコー!
全然楽勝~っ!
恐れるに足らん~!
オトナはサイコー!
青春続行~っ!
人生を背負って~大はしゃぎ~ぃ!

っとくりゃあ!

2011年11月25日金曜日

最近、7イレブンでは買物額に応じてクジを引かせてくれる。
何処でも、いつでも、そして何枚でも
当たりと書いてある商品無料引換券を引いている。
でも今まで同じようなクジを引いても
何枚かで応募ができるというのが殆どだったので
当たりを引いているのはラッキーなことだと思うのだが
けれど大抵、普段買うことのないものばかりが
当たっていて、
シリコン滑り止め付きグローブの時に
はっきりと思ったのだ。
こんなことで全ての運を使うんじゃないのか?
使い切ってしまう勢いではないのだろうか?と。

時は、ドリームジャンボ宝くじ。
年末ともなればtotoBIGも多く出るやも知れず。
なのにこの勢いは怖い位にマイナスな感じ…。

分相応と言えば良いのか。
身の丈に合ったと言えば良いのか。
私の当たりクジってこれ位なのだろうか。

小っちゃ~~~。。。

☆注
一週間程更新しておりませんでしたが
わたくし、これごときで悩み苦しみ、
悲嘆に明け暮れするよりは
ごくわずかながら大きな人間です。

2011年11月18日金曜日

猛特訓

最近になって犬がまた変なことを始めるようになった。

かれこれ4年ほど使っているお水用の食器の底に書いてある
オモチャの絵が今頃になって気になり出したらしい。
バシャバシャフガフガいうので
慌てて見てみると底の絵のオモチャをくわえようとして
半ば溺れたようになっている。

同じような時期に今度は
こぼしたフードが偶然お水用の食器に入ったらしく
中途半端に浮かぶフードを取ろうと必死で
これまた溺れたようになっている。

そしてその数日後には
どうも口からフードをわざと水の中に
落としているようにしか見えないようになった。

こうして、水難フード救助活動の特訓が始まった。

でも、中耳炎にでもなりはしないだろうかと思っていた矢先、
この間はまたひどかった。
フガフガどころか鼻からブシュブシュとお水混じりの音がしている。

見るとやっぱり鼻を突っ込んではブシュブシュ、
突っ込んではブシュブシュとやっている。

何度も繰り返すのでさすがに放ってはおけず
フードを取ってやろうと食器を覗くと
なんだ、何も入ってない。

どうやら今や救助の相手はフードではなく
もしや人までも想定しているかもしれない。
なぁんてはずはなく、
ただの 溺れた犬マネ をやっているのだと思うことにした。

そして今日。
私は犬の斜め後ろにいた。
ブシュブシュと音がする。
又やっている。
気付かれないよう覗いて見ると
鼻を突っ込んでは意図的に鼻にお水を吸い上げているし
その量もかなり多いではないか。
スキルアップしている。
顔を上げたところでブシュブシュ鼻からも口からも
お水を垂らしている。

何なんだ、あれは?

そして数回繰り返した後、
いそいそ走った先は私のお布団。

まさか!???

「 やめてーっ!! 出すなーっ!!! 拭くなーって!!!!!」

イヤだイヤだ。
ここに辿り着くための特訓だったとは思いたくない。

何なんだ、このムダな根気に努力は。
第一何なんだ この犬は?

2011年11月16日水曜日

犬のあくび

犬がするあくび。
緊張やイヤな気持ちの時に気分転換にするというあくび。

確かに、うちの犬もこれはたまにする。

しかし、うちの犬はこのあくびと違う種類のものを
わざとらしくする。
回数も多い。

それは明かに犬の意に反したことを私が言ったり、
禁止したりした時にする。

例えば
私 「 ほら、こんな風にきれいにして寝なさい! 」
犬 「 ウヘ~~ッ 」
私 「 ウヘ~~ッ 違うわ! 」
犬 「 ウヘ~~~ッ 」

要するに、チェッ的な口ごたえ。

口の開き方自体が最早あくびではなく
確実にウヘ~ッて言ってるし。

2011年11月15日火曜日

デビュー

日曜日に従妹に靴下を貰った。
ヒョウ柄だった。
生まれて初めてのヒョウ柄だ。
やっぱりデビューは靴下からか?
だってここは大阪。
それに私はおばちゃん。
条件は揃ってしまった。

「一番暖かそうなのがこれだったの!
寝る時に使ってよ!」

「あげるのやめる!」と言わない従妹は優しい。

2011年11月12日土曜日

また、子供の頃の話

小さな時、色の水を作る遊びをしていた。
お花や葉っぱや植物の実をすりつぶし
お水を染めるという遊びで
綺麗な色のお水をガラス瓶に詰めて並べていた。
濃淡のあるピンクやグリーンのお水はとても綺麗だった。

何て高尚な素敵な遊びをしていた私なんだろう ガハハ。

しかし、いつもながら
万事においてここからの飛躍がない。
そのお水で白い布なりを浸してみることを
何故しなかったのかと思う。

もしや、染色家なんて道が開けていたかもしれないのに…。
「仕事は染色でございます」なんて
素敵・渋い・上品なわたし…。

と思ったりして思い出した。

綺麗なお水を沢山作ってはいたのだが
私は泥を溶かしたお水が
まんまコーヒー牛乳だったことが
一番の自慢だったしお気に入りだった。
誠に残念な子供だったんだ。

しかしだ。
渋くもお上品でもないけれど
犬にかこまれてお仕事できるのは素敵なことではないかぁ~‼

(誰かそこで聞いてくれてる?)

2011年11月8日火曜日

宝物

送迎に行った先で
お約束の時間に少し早いので
車の中で待っていた。
今日は随分と空気も冷んやりして
日向が気持ちいい。
横の畑に紋白蝶がひらひらと舞っていた。

子供の時
この紋白蝶も私にとっては宝物だった。
思えば、何てこともないようなものだって
ワクワクするくらいの素敵なもので
いろんなものが宝物になった。
カブトムシのオスや
変わった形の小石や
パズルの1ピースや
使い古しの鉛筆も。
キャンディーの包紙だって宝物になった。

あの頃のワクワクした気持ちが宝物になった今、
宝物になるものなどそうそうない。
だけど隣りで変な顔をしている犬は
間違いなく今の私のとびっきりの宝物です。

2011年11月6日日曜日

100点満点の犬

超しつこい、うちの犬。
何回も何回も同じことを言ってくる。
ねぇねぇが
ねぇってばぁねぇってばぁ
になり
ねぇってばぁったらぁねぇってばぁったらぁ
になり
ねぇってばぁったらぁっていってるのにっ
ねぇってばぁったらぁっていってるのにっ
になる。

もうダメですっ!!!!!

すると
ため息一つ残して
部屋からいなくなる。
見ると隣りの部屋の真ん中で
うなだれて座っていたりする。

私が叱ったのではない時などは
私の真後ろに来てうなだれている。

かわいいのである。

言うことを聞いてやったら良かったような気持ちになる。
叱らないでやって欲しい気持ちになる。
が、ここは我慢。

このしつこさが無ければ
120点あげるんだけど
あんまり点数は嬉しくないらしいです。

2011年11月3日木曜日

初見せ

今朝鼻をかむ私の足元に来た犬が
未だかつて見たことのないほどの賢そうな顔で
私を見上げた。
不思議そうだとか興味深いだとか
そんな類いの顔つきではなく
真に芸術のわかる人が
真の芸術に触れたかのような
そんな顔つきだった。
こんなものに誠に恐れ入りますだ。
もう何年も一緒に暮らしておりながら
初見せとは思っていなかったが
こんなもので良ければ
もっと早くに見せてあげればよかったと思う私です。

しかし、もしこんなことが犬の世界では
称賛に価するならば
これからは出会った時に先ず鼻をかむということが
私の仕事の奥の手になります。
そんなアホなと思いつつ
念のため、一回だけは誰かで試そうと思うのですが
その一回のどこかのどなたか
失礼をご勘弁ください。

2011年11月2日水曜日

睡眠時活け海老症候群

年齢不詳のうちの犬、
白髪になってきた感じといい
時に聞こえない様子といい
それなりの年齢だとは思うんだけど
夜中、睡眠中の足の動きだけは
発育途中の若者ほど激しく動く。
なんたって、床や壁を蹴る音で
目を覚まさせられる位の激しさだ。
見ると、案の定活きの良い海老に変身している。
激しく動く海老を眺めながら
私だけだから良いようなものの
人様には恥ずかしくて見せれないなぁと思う。
そのうち、私だって恥ずかしくなる。
これはやりすぎだ。

冷ややかな視線が犬に届いたのか
ゆっくりと瞬膜を戻しながら目覚めた犬は
こともあろうに「 散歩が足りとらんのだ! 」と
テレパシーを送ってきた。

それとも、これが自己反省というものなんでしょうか?

2011年10月30日日曜日

はや一週間。

あっという間に一週間が経ってしまいました。
元気でおります。
犬も元気です。
しかしながら、この段階で既に寒いらしく
来るこの冬をどう乗り切るつもりか
考えてみることはせず
今年もまた全てを私に委ねるつもりでいるのは
確かなようです。
困ったもんです。

ところでモンタナの彼女、久々に来てくれました。
今日も彼女はノースリーブ。
震える犬がおかしいらしく、
モンタナ育ちの彼女の腕は冷たくもなっていませんでした。

ちょっとしたプレゼントのお返しにと
お昼に天津飯を買って来てくれました。
彼女がカタコトで頼んだ天津飯…
感激です。

思い出すは運動会で走る私を見て泣いていたおばあちゃん。
こんな感じ?

ちなみに、小さい頃私もおばあちゃんから
トイレの神様のお話を聞いていました。
なのに、ごめんねおばあちゃん。
べっぴんさんにもなれず、歌にもできず。
だから紅白にも出れず。

あ~このように、この一週間
こんな風に思考があっちこっちにフラフラしたことが
ブログが更新できなかった理由です。

2011年10月21日金曜日

ペット法学会・学術集会シンポジウムのご案内 を転載します。

第14回 ペット法学会・学術集会シンポジウムのお知らせ
テーマ『動物愛護管理法改正の重要課題』
 
※2年ぶりの松野頼久議員の来阪です。
いよいよ大詰めになってきた動物愛護法改正について、
この最終シンポジウムで改正の展望と課題をもう一度確認し、
法律の改正へつなげましょう!
 
【日時】2011年11月5日(土) 10:00〜17:00
【場所】JAたかつき 2F コミュニティホール
大阪府高槻市城北町1-15-8(高槻市役所向かい)
【アクセス】JR高槻駅、阪急高槻市駅 徒歩7分
【参加費】無料
【定員】200名
 
<参加申し込み方法>
THEペット法塾HPのお問合せフォームよりお申し込みください。
または、?お名前 ?お電話番号 ?メールアドレス ?所属団体(なくても可)
?参加人数 をご記入の上、メール・FAXでもお申し込みいただけます。
FAX:06-6433-3817(fax専用)
 
【内容】
◆研究報告
・吉田眞澄 /ペット法学会副理事長・帯広畜産大学理事・副学長
・細川敦史 /ペット法学会会員・THEペット法塾事務局長・弁護士
◆講演
・松野頼久 /衆議院議員・民主党動物愛護法改正を検討する議員連盟会長
・松浪ケンタ/衆議院議員・自由民主党動物愛護議連事務局長
 
◆パネルディスカッション 「動物愛護管理法の重要論点」
・会田保彦/日本動物愛護協会常任理事
・川村隆子/名古屋学院大学准教授)
・山口千津子/日本動物福祉協会・獣医師
・渋谷寛/ペット法学会理事・弁護士
・細川敦史/上記
 
【主催】ペット法学会
【協力】NPO法人 動物愛護を推進する会/THEペット法塾
 
皆様のおかげで、THEペット法塾からは27万超の署名を環境省に送り、他団体からも
万単位の署名が続々と提出されています。
いよいよ大詰めとなってきた動物愛護管理法改正へ向けての、最終シンポジウムです。 
 
法律改正の内容についての私達の思いは、最終的には国会議員にゆだねる事になります。 
今回は、約2年ぶりの来阪となる、与党民主党の動物愛護法改正を検討する議員連盟会長の
松野頼久議員と、2大政党の一つ自民党の動物愛護議員連名の松浪ケンタ議員をお迎えします。
また、環境省の動物愛護部会より、渋谷寛先生、山口千津子先生にも来場いただきます。 
 
私達の思いがはたして、法律改正に反映されるのか、現在検討されている法改正の
中身と、改正にむけての展望を知り、残されたわずかな時間で私たちに何ができるのかを
考えましょう。
 
※法改正にむけての質問や疑問・提案がある方は、事前に提出することもできます。
「ペット法学会 シンポジウムへの質問」と明記の上、koho@the-petlaw.ne.jp まで
メールにて送付してください。
※頂いたご質問は、当日発表し、各先生方に答えていただく予定としておりますが
すべての質問にお答えできない事をご了承ください。
 
■□■THEペット法塾■□■

2011年10月18日火曜日

もう!?

うちの犬のわからない部分。
露骨に排泄と言って良いのか
言葉を濁すべきかはわかりませんが
要するにそのてのことです。

結局、丸々言ってしまいますが
フードを食べたら、すぐに大。
戻ってすぐにフードを食べれば再び大。

押し出し式ほど旺盛な食欲でもないので
いつも不思議でなりません。

まるで星新一の世界です。

胃から直腸が
口から直腸が
思い切って言ってしまうと
口から肛門が
ダイレクトにつながっているかのような
超ド急のスピード感です。


ハイ……思い切り言い過ぎました……ゴメンナサイ。

2011年10月15日土曜日

そっくり!

今日、私は遭遇した!

『楳図かずおブルーバージョン』

グワシ!


もう少しで今日が終わろうというこの夜更け。
一日の反省でもなく
明日への課題でもない。
これでいいのか…わたし。

2011年10月12日水曜日

味覚

生まれて初めてチーズを食べた時
まるで石鹸のような味だと思った。
勿論、石鹸を食べたことなどはない。
本当です。
でも、おばあちゃんとお風呂に入ると
おばあちゃんは結構男前にガシガシ洗ってくれるので
その時に石鹸の泡が唇に乗っかり
自然と味わっていたから
石鹸の味を知っている気になっていて
本当にそっくりだと思っていた。

そして、何故だか石鹸の味のチーズを大人の食べ物として
無理して美味しいと言い、
そのうち、本当に大好きになった。

生まれて初めて食べたピザの味は
何にも似ていない初めての味がして
これもまた大人の味だった。

今、チーズを食べても
それはチーズの味で石鹸の味なんかしないし
チーズもピザも大人の味なんかしない。

そもそも大人の味と漠然と思うことさえ近頃はない。
それが残念で仕方がない。
かなりの大人年齢になればそうなってしまうのだろう。

大人になって加わったのは、
お上品なお味 というものだ。

私がいつかお上品になれば、
これも感じることのない味覚になるのだろうが
この私にそんな心配はなく
永遠の味覚となるに違いない。

2011年10月11日火曜日

女友達

こういう仕事をし始めて
日曜日も祝日もお盆もお正月も
世間の休日というものから縁遠くなった時に
友人と会う機会が減り、
それから主婦へ母へと
友人を取り巻く環境が変わると
お互いの共通の話題にも事欠くことが多くなって
この年齢になって周りを見渡すと
随分と風通しが良い状態になっていた。

それでも何人かの友人には恵まれ
それでいいんだとも思える。

結局のところ
今も付き合いのある友人は
犬や猫と暮らしている人がほとんどだ。
話題には事欠かない。
というか、他に話題がないだけかもしれないけれど。

犬との距離感、
自分の中での犬のポジションも同じだと
本当にくつろげる関係でいられる。

と、全くのところ自分目線で言ってるけれど
結局のところ
私から犬を差し引くと
犬のことしか話ができない
ペランペランのうす~い人間だということです。

2011年10月6日木曜日

じゃあ、やめればいいよね。

買い物に行き、2種類の強力瞬間接着剤に
目がいった。
1つは強力瞬間接着剤。
そしてもう1つは強力瞬間接着剤 超速乾。
全然買う予定などなかったのにこの超速乾に惹かれてしまい
カゴの中。
そして、その超速乾タイプの横にぶら下がっていたのが
瞬間接着剤はがし液。
きっちりとはみ出すことなく引っ付かないとイヤでいて、
ほとんどの場合、やり直しが必要な私には超必需品だ。
特に今度の場合、相手は超速乾ときている。
手強い相手にはその対処も考えておくのは当然のことだと
そして、はがし液もカゴの中。

超瞬間、超速感で
ならば普通の強力瞬間接着剤にすればいいんじゃないの?

しかし私の中で超速乾の期待度はそれを上回っていた。

2011年10月3日月曜日

秋ですね。

度々このブログに登場する従妹が
階段で滑って足や腰を打ち
ピアノが職業の彼女としては大変なことに
手の親指の靭帯までも痛めてしまって
ギブス生活を余儀なくされているのだが
仕事は休めず、
その時ははずして弾いているらしい。
すごいことだと思う。

ただ一度だけ登場した主人は普段は沖縄にいる。
1日、土曜日に大阪に帰り、
2日、日曜日に広島に向かい、
3日、早朝船に乗り、海に入り、
午後には大阪に戻って来て、
夜には沖縄にいる。
すごいことだと思う。

私は、すっかりと秋になった空と雲を眺めながら
心地良くなった空気にも満足し、
傍らの犬を撫でながら
幸せな気分で思い出していた。

我が家にはニコちゃんというシーズーがお泊り中で
足元に寝ていたのが寒くなってきたらしく
夜中にお布団の中に入りたいと言ってきた。
その時に、いつもならうちの犬が枕にしているクッションが
横に転がっているのに気が付いた。
犬はというと定位置にいて、
こりゃまた随分と飛ばしたものだと思った。

朝、目が覚めると
枕もちょこっとしながら
ニコちゃんは大人しく眠っていた。

うちの犬はというと
飛ばしたクッションを枕に眠っていて
気配で起きたのか、頭はそのままで
ゆっくりと尻尾を揺らした。

露骨に焼きもちは焼かないけれど
先ずはクッションを移動させてから
そばに眠りに来た犬の気持ちが
可愛く愛おしかった。

ほんわかした気持ちのまま
並んで秋の空の下にいる。


私、頑張ってる感ないよなぁ~。

2011年9月30日金曜日

しめしめとまんまと?

うちの犬と私。
それぞれの心の中の声。

車の中で私が
後ろの物を取ろうと手をのばす。
シフトレバーを持つ。
助手席の足元のカバンの中の物を取る。
シートベルトをカチッとする。
頭を掻く。
何となく手を動かす。

その動きに合わせて
ゼッッッタイ!うちの犬は間に頭を入れて来る。

勝負は歴然のボクシングのように
頭、ほっぺた、口元を殴ることになったり
ひっぱたくことになったりで
一日に何回 「 あっ ごめん 」と謝ることか。
犬は 「 大丈夫 大丈夫 」と微笑む。
罪悪感を引きずった私は
むちゃくちゃに謝りながら
メロメロ状態になってしまう。

何かおかしいと思うのは
全て終わってから。

2011年9月23日金曜日

ナチュラルハーベストのリニューアル

ハーベストのフードが完全にリニューアルします。
栄養学の進歩に合わせ、最新の栄養学に基づいたものを
ということで内容は勿論、
フード名もパッケージデザインも変わります。

3シリーズ7種類です。
・ベーシックフォーミュラー… 現在のシュープリームがベース
低脂肪 低カロリー 低アレルギー
ナーサリー(旧パピー)・幼犬 小型犬用
メンテナンス メンテナンススモール(旧同じ)・成犬 シニア犬用

・プライムフォーミュラー…シニアサポート、マイリトルダーリンがベース
食材だけで栄養基準適合を目指した最高のナチュラルフード
マイリトルダーリン・幼犬 小型犬用
シュープリーム・成犬 シニア犬用

・セラピーティックフォーミュラー( 食事療法食シリーズ )
…既存の概念にとらわれない全く新しい食事療法食
レジーム(フィットネスライト)・ダイエット用
シニアサポート・ハイシニア用

主原料や内容も変わっています。

10月から11月位に新商品が順に出荷されます。
現行の商品は在庫が年内と来年2月位までと
それぞれ異なりますので
現行のフードにつきましてはお問い合わせ下さい。

一応、真面目に話は聞いて来てますので
内容につきましてもお問い合わせ下さい。
あまりに長くなるので、ここでは省略させて頂きましたが
本当です。

2011年9月20日火曜日

フードの話がクラクラで、STORE GUIDE ですみません。

先週、フードの全面リニューアルの説明会があり
中之島まで行って来た。
帰りに久々に電車に乗ろうと
これまた久々に梅田の地下街に行った。
ショック…………。

地下にさえ入れば好きな所に迷わずに行けたのは
もう遠い昔の微かな記憶の中のこと。

さっぱりわからない。

最後の砦の阪急百貨店ですら
最早、今の段階で別物になっていた。

と人に言うと
いつの話をしているのかと笑われる。

あまりの変貌にクラクラしてガイドに頼ることにした。

フロアごとに食料品、婦人服とかバッグとか書いてあるのは
昔から同じで、わかり易い。

だけど、問題はメンズ館の方の案内だ。

B1 洗練された大人のトレンドカジュアルとオトコの美を提案するフロア
1F 「本物」「上質」をテーマに世界の一流品を集めた洋品雑貨のフロア
2F 世界の最先端ファッションを極めるフロア
3F 世界の正統派ファッションを極めるフロア
4F 時代に左右されないオトコの基本ワードローブを提案するフロア
5F クールでエキサイティングなトレンドカジュアルを提案するフロア

って、これじゃ向かう先が文字通り向かう先で
恥ずかしいような行きにくいようなと思うんだけど、
勝手に想像して向かわせてツボに入る私。
そもそもガイドに頼ってるのは私だけ。

そんなことより
先ず、フードの案内…………今度、します。…………。

2011年9月11日日曜日

外国人のお客様

閉店後にお客様があった。
外国人の若い女性だった。
犬の鳴き声に誘われて入って来られたようだった。

日本語はほとんど話せないらしい。
そして私も英語が苦手。

それでも、ゆっくりと確認し合うように話をした。
私たち二人だけだったので、恥ずかしいことも何もない。
日本人の男性と結婚して日本に住むようになったらしい。
故郷のこと。
家族のこと、
大人数でキャンプに行った時のこと。
ご両親の写真を見せて貰った。
実家に残してきた犬の写真も見せて貰って
この犬の両親のこと、病気のことも聞いた。

こうして、理解したい、されたいという気持ちでいることが
大切なんだとよくわかったけれど
ちょっと気になっていたあの教材、
やっぱり試してみないといけないな。

彼女も今、日本語を勉強しているようだった。
私にイヤホンをはずして聞かせてくれた。

「 彼女は肉を食べています 」

えぇーっ、そんな感じぃ…

しかしまぁ、なるほどね。
私たちのレベルは同じくらいだ。

また来るって言ってたから、楽しみに待っていようと思う。

2011年9月10日土曜日

ホームセンター

トリミングの時のリボンやチョーカーは手作りのものを
というのが決め事なのですが
何年も作っていると違うものを作るのが難しくなるもので
この度、グルーガンを購入しまして
リボンの世界に大きく羽ばたこうとしております。
ホームセンターにあるというので
久々に行って参りました。
陳列棚は工具やネジや工事用の物など
普段あまり立ち入らないエリアにありました。
しかしまぁ、楽しいことと言ったらありゃしません。
男の人が、工具が好きだったりする気持ち、
わかる気が致します。

入店するまでは何の興味も無かった私が
ドライバーセットはおろか
電動ノコギリや
よく使い道もわからないようなものまで
一種、カッコイイとか思ってしまって
アメリカ映画によく出てくる作業台のあるガレージまで
想像してしまいました。

探すのに時間もかかったのですが
興味を引かれる物の多さで、すぐに時間が経ちました。

あそこに1時間もいれば
頭の中では、家くらいは建てれそうです。

グルーガンで羽ばたき、
電動工具で空の彼方へ…

私の可能性、広がりまくり。
いや、広げまくりの過ぎまくり。

2011年9月8日木曜日

台風の被害

私の仕事仲間の実家は和歌山です。
台風の後、心配になり連絡をしてみたのですが
お亡くなりになられた方や行方不明の方の数が
日毎に増えていることを考えると
かなりの被害の様子は伺えます。
ただ彼女の情報は地元に住む家族のもので
ニュースとしては何も報道されていないことが
殆どであることに驚きました。
海岸には多数の牛がいることを私はその時に知りましたが
報道されているのを見たのは昨日が初めてでした。
同じ近畿でありながら、あまりに遠い出来事になっているようで
申し訳ない気持ちになります。

孤立している所は本当に何も届かない状態らしいです。

日高川から水を汲み上げる施設が土砂で埋まってしまい
復旧の見通しが立っていないとのことで
救援物資として水を送って欲しいということです。
ここが拠点になり、ここからまた運ばれるようです。

〒 649-1324
和歌山県日高郡日高川町大字土生160番地
日高川町役場

2011年9月7日水曜日

動物愛護管理法

2009年、11月に
2011年、 動物愛護管理法見直し改正に向けての
シンポジウムというものがあり、参加した。
実際には改正は来年度になるのだが
環境省がパブリックコメントを募集したことから
今、犬や猫と暮らす人達からの関心も高くなってきている。
少しでも、動物を守るために良い方向に向かって行けばと
切実に願う。
必要なのは、真に動物を守れる法律であること、
勿論命を守ることは重要だけれど、
それに加えて精神的な部分、感受性をも守れる法律が
必要だということだった。
悪徳動物業者の問題
動物への虐待、遺棄の問題
保健所やセンターなどの収容施設、保管に関する問題
譲渡基準
殺処分の方法の改善(苦痛を与えない安楽死)
法規制のない日本の動物実験の現状
畜産動物の福祉の確保
等々
シェルターやアニマルポリス

他にも関連する事項はあったけれど
大体このような内容であった。

日本が後進国であるとは認識していたが
動物実験の法規制( 実験者 実験施設 実験計画 飼育施設
審査制度 委員会 記録 罰則 ) が世界の中で日本だけ何もない
ということにも愕然とした。

動物愛護基本法の前に骨格となる動物愛護基本法が必要では
ということも言われていた。

知っている部分、知らない部分
知りたくない部分
いろいろある。

全てが明るみに出てこそ知り得る情報は多い。
知りたくないことだが知らないといけないことだと
痛感した一日だった。

2011年9月4日日曜日

犬のフェイント


出掛ける間際にまた眠ってしまう犬を起こして
玄関に向かう毎日。
ここ数日、雨が降っているので
先にバッグなどの荷物を車に運ぶため
準備が整ってから
玄関から「 行くよ~! 」 と声をかけることが多い。
勿論、それで起きるわけもなく
結局は靴をぬいで上がって行かなければならない。
何度も揺すって、ようやく起きる。

今朝はいつもより早く起きて、
私を見張っていた。
私の動きに応じてお水を飲み、
また私で口や顔をきれいにする必要があるからだ。

そろそろ出掛けるという微妙な時間に
珍しく玄関に向かう私にピッタリついて来たのだけれど
残念、私はトイレに入った。

すぐさま、犬がお水を飲む音が聞こえて来た。

間違いをごまかすつもりかぁ?
お水が飲みたかったんですよわたしはって感じですねぇ。
さっき飲んだばかりなのにねぇ。
なかなかやるもんだ。
なんて思っていた私がバカだった。

トイレから出て見ると、
犬はまた本格的に寝ようとしていた。
枕までして。

後ろを付いて来た時は
トイレより出掛けること。
うちの基本です。

2011年9月3日土曜日

台風


先程より雨、風共に少し強くなってきました。
昨日は台風の到来を予感させる風が吹いていたものの
夜になって、静かになり
嵐の前の静けさとはこのことかと思ったのですが
お布団の中でも外の気配は静かなままで
そのまま、朝になりました。
大阪からは、それたものと勝手に判断していましたが
のろのろのスピードとあっては
嵐の前の静けさも長時間に及ぶものなんですね。

そして今日は九月に入って最初の土曜日、
今日はビンや缶の回収日なんです。
今月は町内会の当番に当たっている為
この回収カゴを所定の場所に出さないといけないのです。

よりによって台風が来るという今日。

あ~悩みます。



台風が来るというのに
雨も風も相当強いとか
注意だ警報だという時に
傘はひっくり返るし、びしょ濡れになるしのこの状況下で
果たしてビンや缶を出す人はいるのか?

こんな台風の日に私がカゴを出したがために
カゴが飛んで、車や人が危険なことにはならないか
一番近くの御宅に飛んで、何か壊したりはしないか

あ~ どうしよう。

そんなことがもし起こったら、
こんな日に普通出す~!? と言われるだろうし
当番なのに出していないと、忘れてますよと言われるだろうし。

あ~ どっちみち言われるやん。



それにしても、今日は車の交通量がとても少ない。

私も昔はそうだった。

おやつをいっぱい買い込んで
台風に備えて
家族揃って自宅に待機していた子供時代が懐かしい。

台風にワクワク感さえあった子供時代、
台風の日、カゴを出すか出さないかを
最優先に悩む未来があるなんて思いもしなかった
子供時代が愛おしい。

こんな大人になって、ほんとごめんっ。





2011年9月1日木曜日

手のひらから愛情


物心ついた時からそばには犬がいて
人生の半分を犬のそばで仕事をして
今更ながら思ったんですけど…

信号待ちの間に助手席の犬を見てると
自然に手がのびて頭を撫でていて
ゆっくりと私を見た犬の目が
とっても優しくなったんですよね。

自分では届きにくい場所を
撫でたり、掻いたりしてもらえたら気持ちいい
とは思いますけど、
頭を精々優しく撫でるくらいでは
目を細めるほど気持ち良くはない気がしたんです。

手のひらから愛情が伝わって
それを感じて
犬はあんなにも優しい表情をするのではないでしょうか?

すこ~し首をのばして
手のひらに頬を寄せてくると
今度は犬からの愛情が伝わってくるようで
幸せな気持ちになります。

一日に一回か
たまにでもいいんですけど
こんなひと時があるだけで
それだけで犬がいてくれることに感謝します。
犬には絶対ナイショですけどね。


2011年8月31日水曜日

どうしても許せない犬の行動


夜、パジャマに着替え椅子に座っていると
お水を飲みに行き、
一目散で私の所に来て
座っている私の太ももに
頭をのせるくらいに深く近付き
オッサンには失礼だが
正にオッサンの咳払いを一つするのが許せない。
私の足には、お水だかよだれだか
わからんもので
手のひらサイズのシミができる。
ほとばしったような点々まで作って。

朝、背もたれのない椅子に座っていると
いつの間にかお水を飲みに行き、
私の着替えたばかりのTシャツの背中で
きれいに口を拭き、
ついでに目も耳もきれいにしていくことが許せない。
鼻先から口の端のダランとしたところまでこすって
NIKEのようなシミができる。
洗いたての清潔な匂いのTシャツに
わかりたくもない臭いの部分まで作って。

両手で顔をはさみ、
私から遠ざけようとするのを
オッサンみたいな咳払いをしながら
顔に自分の全体重をかけて押し返してくる。
B級のオカルト映画みたいな顔をして…。

こんなことを毎朝毎晩日課にしているのが許せない。


2011年8月26日金曜日

幼なじみ 2


幼なじみは有名人ではないと思うのだけれど
地元では何かで有名になっている可能性もあるし
名前がでるのは絶対イヤだといけないので
心優しい私は名前を出すよと昨日のブログを公開する前に
お伺いのメールを入れた。
返事はすぐに返ってきて
『 別にいいよ。 今日は相棒見なかったなぁ。 』だった。
( ちなみに相棒とは、うちの犬ディーフのこと )

あり得ない。
すごい。

なんという心の広さ。
なんという平常心。

さらっと受け流してから犬のことに移るあたり、大き過ぎる。

もし立場が逆で私が名前を出すよとメールを受け取ったなら
「 何書くの? 一体何書く気なん? 先に内容教えてよ。 」
と、実にしつこくする。
公開されるのが、気が気ではない。

なのに幼なじみからは今、ようやくメールが届いた。
私が自分の髪をイチゴやトマトのヘタと言ったのを
実際に昨日確認してみて
表現力がスゴイと褒めてくれている。

スゴイのは表現力ではなく、ただの観察力だ。

スゴイのは私ではなく佳代ちゃんだ。


佳代ちゃんの家にはもうすぐ二代目のもこちゃんが
元気な身体に生まれ変わって帰って来る。
彼女の家族だけではなく
私もそう信じている。

比べられて不幸せ
だとか
別のコなのに可哀想とか
そんなことは心配いらない。

初代のもこちゃんが老犬になるまでに注いだであろう愛情も
仔犬の二代目のもこちゃんへの愛情も
全部まとめて受け取るのだから。

初代のもこちゃんが悲しんだりはしない。

大好きな家族が幸せであることを
一番に喜んでくれる。

犬とはそういうものだと思う。

初代と二代目は、家族の中でこれから一つになって
うんと幸せにして貰って、
うんと幸せにしてあげて欲しいと思う。


2011年8月25日木曜日

幼なじみ


幼なじみが店に来た。
別に私の髪の短さを笑いに来たのではないのだが
私を見るなり アハハハハ と笑った。

私の髪を笑う為に、待ってたのかと聞くと
うん、そうと笑いながら言った。

その後も アハハハハ
アハハハハ と笑いながら帰って行った。

会話らしき会話をした記憶はない。

幼なじみとはこんなもので
笑われていながら何なんだけど
なかなかいいもんだと思う。

ずっと友達と言っていたのが
幼なじみと変化するのはいつの時点だったんだろう?
幼い日をはるか遠くに感じた時からだったろうか
とふと考えたりしながら…
それにしても中村佳代ちゃん、笑い過ぎ違う?
( ハハハ 名前出してやった )


2011年8月24日水曜日

早起き


少し前から、朝まで熟睡することがない。
どうにかしたら三回位は目が醒めてしまう。

と人に言うと、若い時なら
「 何か悩み事でもある? 」と聞かれることが普通で
体調の心配をして貰ったり、有難いことだ。

あ~しかし、いやだね、
年をとるってのは。

「 トイレ? 」 って
ほぼ100%の確率で言われるようになってしまった。

いいや、断じて違う。
トイレには行きたくない!
私の自慢はトイレが遠いことなんだ!!

そんな理由じゃなく3時、4時に起きてしまったら
いらない通販番組をみる事になり
思わぬ結果を招くことにもなるものだ。

被害が甚大にならないうちに
何とか手を打たねばと思いながら、
でもどうして起きてしまうのだろうと考えていた。


わかった!
多分だけれど、あれしかない。

私は昔から何時に起きないとと思いながら眠ると
必ず目覚まし時計の鳴る10分前には起きる習性がある。

このブログの初期の頃に書いたのだが
本屋さんで輝く将来を模索していて
必須条件のように
早起きを奨める本の多さに気がついた。

あの時から、私の脳はそれを忘れてはいない。

しかしながら、何とも身体がそれを拒否し続け、
頭では、輝く将来のジオラマ状態だ。

とうとうしびれをきらし、
脳が実践しようとしているのではないだろうか?

まだ起きる時間を正確に決めていない為
2度3度と試み、
夜中から早朝に起こそうとしているのではないだろうか?

ということは、後は身体が言うことさえ聞けば
目的は達成され、将来は約束される。

あ~、この身体、
夜中のトイレに起きてもおかしくない
この身体が邪魔をする~。


2011年8月23日火曜日

うちの犬の名前


うちの変わった犬、
いやと言うほどこのブログに登場する犬ですが
名前は D.ph と書いて、ディーフといいます。

今となってはおかしな犬だったというだけですが
出会った時には、とても思慮深く見え、
人間的なところが印象的だった為
哲学とか哲学者とかの文字を辞書で調べていて
哲学博士を簡略にした D.ph に行き当たりました。

その時はピッタリだと思った名前ですが
実態がわかっていれば、ハテナ(?)にしたと断言します。

この名前、聞き辛いのでよく間違われ
葉っぱのリーフとか、
どうかするとリーブとか呼ばれ
リ~ブ21~♫とメロディーが流れたりします。

和田アキ子さんとは縁もゆかりもないですし
カツラにも今のところ縁もなく、
さすがに私も名前にまですることはありません。

それにしても、辞書に頼ってつけた名前は
後で意味や名付けた経緯を聞かれると
恥ずかしい気持ちになるものです。
まして、哲学博士となれば
私も恥ずかしく、
当の本人も恥ずかしいに違いなく、
間違って呼ばれても
二人して曖昧に微笑み合ってる図になります。

お店の上のマンションに住むお姉さんは
ディーフをとても可愛がってくださいます。

彼女は ディーファー と呼びます。
ディーフ ・ ディーファー ・ ディーフェスト と
家ではお利口度に合わせ活用しています。

親戚は ディー とか言って呼んでいます。
ほとんどの場合犬に用事は無く、
本人がカッコつけて呼びたいだけのようです。
ディーで延ばした後のフなんて面倒でも何でもないし、
イの口を閉じるついでに言えますし。

しかしながらの恥ずかしながら、
妙に普段より反応が良くて
このディー、本人満更でも無さそう。
っていうより
いつものダラダラがキビキビになっているし
なんか明らかにカッコつけて反応してない?

ほとんどの場合、はてなちゃんのディーフは
ディーと呼ばれるとディーフェストになります。






2011年8月22日月曜日

犬のデートと家出


以前のブログで紹介したことのあるミヤちゃん、
宅配便で送られてきたあのミヤちゃんです。
今の時代なら恐ろしいことなのですが
当時は何かのんびりしていたと言っていいのか
ご近所みんなで犬を可愛がっていたと言っていいのかわかりませんが
両隣り位は、好きに行き来をしていました。

当時右隣りには喫茶店があって、
大五郎くんという大きなミックスの犬がいました。
その大五郎くんが時々ミヤちゃんを誘って
デートに出かけることがありました。

出掛けるミヤちゃんたちの後をそっと着いて行くと
一面のレンゲ畑を並んで歩く大五郎くんとミヤちゃんがいました。

左隣りにはお弁当屋さんがあって、
お昼時になると決まって出たいと言い、
唐揚げを1つ貰って帰るミヤちゃんでした。

一度だけ、ミヤちゃんが行方不明になったことがありました。
大五郎くんはお家にいるし、
お弁当屋さんは閉まっているしで大騒ぎになり、
手分けしてあっちこっちと探しまわりました。
走る者、車を出す者、自転車で走る者、
それぞれが大声で名前を呼んで大騒ぎでした。

ミヤちゃんは道路を渡っていました。
出会う人みんなに声をかけていると
お向かいの車の修理屋さんに入るのを見たという人に出会い
祈るような気持ちで訪ねて行きました。

「 小さい茶色の犬やったら、二階に上がって行ったよ 」
と言われました。
連れて来て貰えるようにお願いして待っていると
「 二階のソファーで寝てるけど 」と言われました。

初めて黙って店を出て、初めて道路を渡り、
初めての場所に来たにもかかわらず
勝手に二階に上がって、
そして、よそのソファーで寝てるなんて…。

事故にもあわず、発見できた嬉しさは想像される通りです。
ただ、あそこまで賢いミヤちゃんがとった行動に
私たちはみんな、これがミヤちゃんの反抗
ミヤちゃんの家出と理解しました。

ミヤちゃんの家族は私たちスタッフ全員なので
叱られる時は全員に叱られ、全員にごめんなさいを言わないと
いけないミヤちゃんなのです。
でも、この時のミヤちゃんの表情はいつものごめんなさいに
少し怒ったような顔がプラスされていました。

家出をしたミヤちゃんを私たちは叱ることはありませんでした。
恐らくそれぞれにいろんな思いがあったのだと思います。

ミヤちゃんが見つかったというのがわかり
次々に戻るスタッフに順番に抱きしめられ、
頬ずりされるミヤちゃんの顔を
私は忘れることはありません。


2011年8月21日日曜日

番犬


人間の求める番犬の要素ほど曖昧なものは無いと思う。

不審者は徹底的に拒否し、追い払って貰いたい。
変な気配を察知したら、即座に知らせること。

大筋ではこのようなことだけれど
不審者にしか見えない知人はいるものだし、
どうにかしたら家族だってそう見えなくない時だってある。
いや、どうにかしたら私がそうだ。
例えば、この間のように私の髪がヘタみたいになった時のように…。

結局は犬にどう見えるかは関係ないことになって
「 誰に言ってるのよっ 」 なんて言ってしまうのだ。

「 誰か来た! 」と知らせたところで
テレビで大笑いしていたり、
笑っていたはずが居眠りしていたり、
おせんべいのバリバリやお漬物のポリポリが耳に響いて
他には何にも聞こえなくて、
頑張って知らせているのにその甲斐も無い。
そのくせ、念の為に少し長く知らせてみれば
「 静かにしなさい 」だとか
「 うるさいよ 」と叱ることになったりする。

悪い人間には負けて欲しくないけど
それ以上に、絶対に怪我などして欲しくないから
変な手出しはして欲しくない。

第一、番犬っていうのでなくても
人に危害を加えるようなことは許されないし、
かと言って、誰かれ構わずヘロヘロして欲しくないし、
子供が奇声を発しようと、手荒なことをしようが
出来れば
我慢して欲しいとか思ってしまう。

本当に苦労が絶えないだろうし、
申し訳なく思う。

だけど、キミだ。
「 ちょっとぉ 変な音してない? 」と
揺すった時位は、目の一つも開けて
「 あぁ ホント。」くらいは
せめて、せめて言ってくれないだろうか?

起きてくれるだけでどんなに嬉しいか心強いか
ちっともわかってないだろう?

こんなだから、
最初の、[人間の求める]から始まり、[申し訳なく思う]に思いは至り
挙句、爆睡するグニャグニャの犬を肩に担ぎ上げて
一目散に裏から逃げるシュミレーションをする羽目になったのです。


2011年8月19日金曜日

そして、今朝…


何故か私には解らないのだけれど
この2日ほど、ブログの更新が出来ない状態になっていて
出来る時に続けて更新しておこうと思う。
どれだけ言いたいねんっちゅうことかも知れない。

前回の、汚く且つ感動的な話は昨日のことで、
今朝また一つの事件があった。

犬が手足の長さを見せびらかすように寝ているのを
心良く思っていなかったわけではないのだが
寝ている犬の手の真ん中を思いっ切り踏んでしまった。
中途半端な体重のかけ方ではなかったと思う。
そもそも中途半端な体重ではないのだから。

私の知る限り、こんな時犬は 「キャーン」とか
「ギャーン」 とか言う。
それが普通だと思っていた。

犬は違った。
息をつめたように「ウッ」と言った。
みぞおちを殴られた演技のような
完璧なまでのウッだった。

大切な犬の手足は、そりゃあもう大切で
歩く走る以外にもいろいろと…で
ここで改めて言うまでもないし、
そんなこと当たり前のことで
改めて言うのもはばかられるが

まぐれでないか、もう一回だけ聞いてみたい。


汚い話ですみません。


車の中でパンを食べていて、
犬が助手席で 「 私も 」と言うので
少しちぎってあげた。

しばらくして、うちの犬には珍しく
( 失礼。) 嘔吐しようとしている。
私の膝の上に…。

かなり力強くお腹というか身体全体が波打っているので
これは来たる惨事に備えねばと考え
こんな時の定番のビニール袋を用意した。
と言っても私は運転中の身でそれ以上のことは出来ず、
ビニール袋の口を開いた状態で
口元近くの極適当な場所に
ヒラヒラと片手で持つ位のことが精一杯だった。

しんどい時にこんな事は嫌がるのが普通だし、
逃げないもののきっと口は遠ざけるものと、
ほぼ100%諦めの気持ちだった。

ところがうちの犬、
ビニール袋の中にしっかりと顔を突っ込み、
その状態を心得ているではないか。

私は感動した。

結局、嘔吐も無く元気な状態で何よりで
いつもどんな時もこれからずっと変わらずに元気が一番で
そんなこと当たり前のことで
改めて言うのもはばかられるが

まぐれでないか、もう一回だけ見てみたい。


2011年8月15日月曜日

夏の思い出…一生忘れない。


夏が来ると思い出すのは
小学生の頃のこと。
確か合同体育とか言っていたと思うのだが
一学年まるごとの体育の授業、
プールの合同体育だった。
深く沈んでプールの壁を蹴りそのまま潜水で進む練習を
2クラスずつ順番に何度も何度もやっていた。
実際に潜れている子は数えるほどで
私なんぞはしょっぱなの沈むというところから
まるでダメだった。

小学校のことなので体育の先生ではなかったのだが
学年の担任の先生の中では一番若い男の先生が
高らかにフエを鳴らされた。
ピーッ !
このピーッもメガホンを使われていたと思う。
「 今からぁ 先生がぁ 見本を見せるからぁ
全員 プールから出なさぁい!
プールサイドにぃ 並んでぇ。 よぉく 見ておくようにぃ!
はいっ! ちゅうもぉーく! 」

私たちはプールを一周ぐるりと囲んで、先生に注目していた。

プールのど真ん中に下り立った先生は
四方余すところなく取り囲んだ私たちを見渡してから
大きく息を吸うと深く沈み、
見事な深さを保ったままスーーーーッと前進した。
と同時に真っ赤なふんどしがスーーーーッと軌跡のように流れた。
先生とふんどしは同じ速度でスーーーーッと前進していた。

注目!の号令の元、小学生の素直さでもって
息をつめて見守ったのは先生の潜水ではなく
目にも鮮やかな赤フンだったこと、
「 先生 私、一生忘れない夏の思い出です。」


2011年8月13日土曜日

こっちこそびっくり。


これだけ暑いと汗が出る。
動いた以上の汗がでる。
どれだけ働いたのかと思われるくらいに汗が出る。
申し訳ない…。

カバンの中には吸水性の良いタオルを3枚は入れている。
1枚ずつ持ち歩いて交換する。
1枚でもタオル地は厚いのでかさ張る。

「 かさ張るタオルだと、お尻に入れてると掃除とかしてる時に
何処かに引っ掛けたりすることが多いし
犬にイタズラでひっぱられたりもするのよ。
だから小さくて薄いこれは掃除の時なんか、
お尻に入れておくのに丁度良くて便利よ~。」

と、確かに私は言いましたよ。

確かにお尻のポケットとは言いませんでしたっ。

だけど
「 びっくりしたぁ!!! お尻に入れるって言うからぁ、
直接お尻にあててるのかと思ってびっくりしたわぁ。
もうそんなとこまでいってるのかと思ったぁ。 」

と主人に言われ、あの時は二人して大笑いしたけど

今思うと笑ってもいられない。

まだそんなとこまでいってないにせよ、
もうって言うからには、
少しはそんなとこに向かってるってことじゃないの?
いやいや向かってなどいませんよ。
でも、何かを私に発見したのは確かでしょ?
いやいやそんなバカなことはない。

あ~もうこうなったら発見されたことも含め何もかもドッキリを
装うしかなさそうだ。

先ずは、後ろのウエスト部分からハンカチを垂らして
「 お帰りなさい 」と言ってみようと思っている。


2011年8月12日金曜日

腹ペコモンキー



商品棚の向こうからこのおサルさんが視界に入った途端、
早歩きした私です。
なのに小学生の男の子がいました。
グッドポジションは抑えられていました。
何処かに行くまで我慢しかありません。
神経は完全におサルさんにありながら
何かないかしらを装っていた時です。
突然、おサルさんが「 ウギャギャギャー 」と叫び暴れました。
男の子を見ると男の子も私を見て
慌てたように手に持っていたバナナをおサルさんの手に返しました。
おサルさんは静かになりました。

じっとしているぬいぐるみの状態でさえ順番待ちをしていた
この私です。
もう、何てことなんでしょう。
早くウギャギャギャ言わせたくて仕方ありません。

でも男の子もウギャギャギャ言わせたいのです。
ムズムズしているのがわかります。

私が辺りの棚を何気にフラフラしていても
私が注目しているのがばれているらしく
視線が合ってしまいます。

ウギャギャギャ言わせたいのに
かといって言わせるのを見られるのも恥ずかしいらしいのです。

全く困ったもんです。

私としては、
「 場所を空けてくれないのならば、
せめてキミがウギャギャギャ言わせてみなさい。
何もキミにウギャギャギャ言いなさいと言ってるわけではなく、
ただキミは、おサルさんの手からバナナを取る。
それだけでいい。
何も恥かしいことなどない。」 と言いたいのですが、

男には、女の
まして小学生には中年の気持ちなど知る由もなく
言わんこっちゃない、蛍の光が流れ出したのでした。




2011年8月1日月曜日

がんばれてるか? 私。


以前のブログで
イチゴのヘタになったと言った私の髪ですが
髪がヘタではなく
下にある私の顔との対比のせいで感じたことで
もっと正確に言えば
トマトのヘタみたいと言うべきだったこと
すなわち、問題は髪の方ではなく
むしろ大きく育った私の顔の方だったことが
徐々に自覚できてしまった次第です。

ただ、目の前の横断歩道を渡っていたおばあちゃんと
同じヘアースタイルだったことが悲しくもあり
髪のせいにもできる、わずかな救いでもあります。

ということで、バッサリと髪を短くしてから
異常過剰摂取の晩ご飯を食べないという強い立派な決意のもと
日々精進しておりますが
信じられない位に、結果が出て来ようとも致しません。

だとすると、こうなればお昼だからと
許している甘いものを控えるしかないのでしょう。
ええ、ええ、エーッ 今頃~ッ!?の話ですとも。


思えば今まで、夜、夜中に食後にもかかわらず
甘いものが欲しくなると
さも深刻そうに言ってから口へと運ぶ
一連の流れがあることに気付いたのです。
一人の時でも言ってることさえあるのは恐ろしいことです。

『 やたら甘いものがほしいわぁ。 疲れてるのかな?わたし 』

今はもう 『 疲れてるわけないやろ! 』
と何十人ものツッコミが聞こえます。

これはもう成功を手にしたも同然と思った私の前に
次は何が立ちはだかるのでしょう?
( と失敗の予防策をはるわたしに、果たして成功はないのか?ないのか? )


2011年7月31日日曜日

日々の暮らしの中で


私は仕事の帰りに、寄り道をして帰ることが多いです。
家や店で必要な買い物の場合だってあるにはあるのですし、
未来の私を探したり、日々学ぶことが大切と本屋さんに行ったりは
それは重要且つ大切なことですし、
只々、趣味や嗜好はその後に続くだけのことです。

春と秋なら、同じく出勤している犬は車で待ってもらっています。
私としては到着まで助手席で爆睡していたように、
そのまま眠っていて欲しいのですが、
でも、何故かしばらくすると目覚めるらしく
めちゃくちゃお行儀よく背筋を伸ばし首まで伸ばし、
あるはずもない緊張感を醸し出しながら
脇目も振らず前方を見つめて待っています。
仮免で路上にでも出たつもりかとツッコミを入れてしまうほどです。

最初の頃はもっと中途半端な姿勢でキョロキョロしていたので
通行の人に気付かれては窓をノックなどされて
嬉しいくせに、芸能人気取りで無視を決め込んでいたので
愛想のないコですみませんと謝ることも度々でした。

最近は前に書いた状態で前方を凝視しているのですが
私は一向に慣れることが無く、毎回一瞬ギョッとしてしまいます。
私でさえこんなですから、大抵の人は最初は気付かずにいて、
二度見で 「 ナニ~ッこの犬~ッ 人間みたい~ッ 」と驚かれています。
また、やってるよと笑ってしまうのですが
こんな些細なことで、何だか心が和みます。

今の季節はもう、車で待たせる訳にはいかないので、
一旦家に連れて帰ってから再び出掛けます。
帰ったらいつも何故かとてもハイテンションで
家の中の確認作業らしきことをそれなりに
ウロウロやってくれているので
私はその間に気付かれずに出掛けてしまいます。
用を済ませて戻った時に、車の音を聞きつけて
その時点から喜んでくれていた Moon の声がないのは
今も悲しくなりますが
お耳が遠くなりつつで車の音はわからない犬も
ドアを閉める音を聞きつけると
おいてけぼりにしたことを怒りもしないで
長く離れていた恋人を出迎えるみたいに喜んでくれます。

この瞬間に感じる幸せが、この先ずっと宝物になることを
わたしは既に知っているので、
Moon たちと一緒の暖かく明るい優しく柔らかい心の場所に
そっとしまい込んでいます。


2011年7月29日金曜日

飲酒検問


7時半頃、飲酒検問で停められた。
直接、右折できない道だったので
一旦左折して迂回し、直進して目指す道へと合流するつもりで
一旦左折したら検問があり、迂回して直進し
合流する手前でもう1度検問で停められた。
私が一晩で2回、検問で停められたのは初めてではない。

1度目は寝ていた犬も2度目はすっかり起きてしまって
助手席で興味津々、ゲームが始まるかのように
下ろした窓に差し込まれた物を見つめている。


私がこの飲酒検問なるものを生まれて初めて経験した時
飲酒もしていなかったし、
後ろめたいことは何も無かったけれど
とても舞い上がってしまった。

第一、物々しく感じて何か事件でもあったのかと思ったし
自然、緊張感が出て来てしまう。
そんなだから、おまわりさんが
「 ハァーと息を出して… 」と言われたのを
「 ハァ~ 」 と声を出してしまい、
すっかりマイクを差し出された民謡歌手みたいに
なってしまって、それ以降、検問は苦手。

というか、検問で息だけハァーと出すのが苦手です。


2011年7月28日木曜日

ミヤちゃん


昔、ミヤちゃんというポメラニアンがいた。

ミヤちゃんは4ヶ月位の時に
ポメラニアンらしくないという理由で
宅配便でペットショップに返されたコだ。

何がポメラニアンらしくないと言われたのかと言うと
先住のコが大人しいのに比べ、
椅子の上にも上がるような
ピョンピョンした動きをするということが1つ。
もう1つはポメラニアンのようなフサフサした毛がないということ。
返された理由はこの2点で
それでもってポメラニアンらしくないと判断されたのだ。

仔犬特有の活発さが落ち着きに変わり始めた頃には
仔犬から成犬への換毛も終わり、
季節が変わると
他のコと比べても、見劣りしないどころか
多くの人にミヤちゃんのような綺麗なコが欲しいと
言われるまでになった。

宅配便というのが不憫で仕方なく、
いつか大きくなったミヤちゃんの写真を
送りつけてやろうと思ったものだが
結局はそんなことはもうどうでも良くなっていたし、
忘れた。

ミヤちゃんは仔犬の時から
綺麗なコになることはわかっていたけど、
それに加えて
うちのコの中ではダントツの頭の良さで
そして誰からも愛される素直な性格で
ユーモアもあって
だからもう何ていうのか
そんなひどい話は過去からも消していて
神様から届いたミヤちゃんだった。

人と犬が出会うきっかけは
本当に様々だけれど
その出会いも含めて素敵なお話で
人生に幸せ色を差すように
フワッと天から舞い降りて来たみたいだと
後からつくずく思うんですよね。


2011年7月27日水曜日

えっ! どういうこと?


今日は朝からずっと車に乗っていた。

途中で見かけたあのお店、
そしてそのお店の看板にはこう書かれていた。

「 セルフ脱毛 」

こんな話題で申し訳ない。

2011年7月26日火曜日

全速力で走る


子供の時は家に帰る時にだって走ったものだ。
あの道のあの角までとか、
あの電柱までだとか
適当な目標を決めたりしてよく走っていた。
それも全速力で。
みんなでよく走った。
友達みんなで、とにかく全速力でよく走っていた。

子供って、何であんなに走るんだろう…。
何でそれだけで楽しいんだろう…。

大人になると、意味無く走らないし、
意味無く全速力なんてあり得ない。

本当に急ぎの用があったり、
あるミスに気付いて慌てたりして
走った方が良い場面に出くわすことはあるけれど
走りのフォームを気にするのか
走っている時の顔を気にするのか
こけることを恐れるのか
こんなこと全部で全速力では走らない。
私はそう。

でも誰もいないからやってみた。
全速力だぁと思いながら走ってみた。

全速力で走ろうとしている自分がおかしかった。
ないわぁと思いながら、とても愉快な気分だった。

でも走り自体は全然違った。
本気のはずが、全速力は出なかった。

今度こそ全速力だぁとトライするも
どうしても全速力が出なかった。

早々に疲れたわけではないんだけれど
何故だか全速力が出せないし、わけがわからなかった。

これが最早私の全速力なのか?
全速力で走るなんて馬鹿はオヨシと脳が働くのか?
そんなことさえわからないけれど
もう全速力は出ないことは確かだった。

景色が流れるように
空気の流れを感じるように
そんな風にはもう走れない。

だけど考えりゃぁんなこと、そりゃあそうだ。
だったら小走りならできるのかってとこ。
そこんとこからして問題なんだから。


2011年7月21日木曜日

高齢犬の居場所


高齢になって少しでも快適に過ごして欲しいと思い、
今までの居場所ではない所に移動させてみると
思わぬ結果となることがあります。

暖房や、冷房を必要とする時期には
冷暖房の空気の流れや
その場所の温度を確認することが必要です。

それは例えば夏の暑い時期にお散歩に出かける時など
十分に気温を考慮して日が落ちてからにされると思いますが、
日が落ちてからでも、実際に道路にしゃがんでみると
アスファルトはまだ熱く呼吸そのものが辛いとか
手で触ってみて、パッドを火傷させるのではないかと
感じることもあります。

同じように、冷暖房を入れている時は
同じ位置に座り、どのように空気が動いているか、
実際の温度はどうかをみられた方が良いと思います。
高齢犬では尚更です。

こんな感じで確認をしていて、
ちょっと今までのこの場所より、
きっとあっちの方が居心地がいいはずと考えられた時に要注意です。

今までなら、通る時に声をかけたり、触れたりしたのに
ほんの僅か移動しただけで、
声はかけても、触れることが少なくなってしまったら、
そんなことだけで痴呆の症状が出てくることがあるのを
実際に見たこと、経験したことがあります。

逆のパターンのお話で言うと
耳も目も不自由になり始めたコをお預かりした時に
他のコに刺激を受けて、若々しくなったコもいます。
これはそんなに珍しいことではありません。

耳が遠くなってきたり、目が見えにくくなってきたりで
高齢犬はそれでなくても刺激を受ける機会が減ってきます。

嗅覚に頼っているコもいますが
やはり触れ合いが大切です。

心地良く過ごせる場所であっても
触れる機会が少なくなりはしないか?

よく考えてから決められることをオススメします。


2011年7月20日水曜日

蝉と そして私。


今朝、賑やかな蝉の声を聞きました。
脱け殻は目にしていたので
気付かなかっただけかもしれませんが
我が家の庭の蝉の声は今日が初ではないかと思います。

この風の強い日に。
この灰色の空の日に。
今日は台風が来るというのに。

深い青、輝く白い雲、強い日差しの下でなかった蝉たちは
こんなはずではなかったとがっかりしたのでしょうか。

生まれ出た強さの中では、そんなことは大した問題ではないのでしょうね、
きっと。

人間の私はそんなことを思いながら、

そして、
殻に閉じこもったまま抜け出せなかった蝉を地面で目にすると
心がしんとなって
せめて、できるだけ空に近い場所
できるだけ平和な木の葉陰にいて欲しいと切実に感じます。
昨年も同じ気持ちにはなったけれど
それでもどうしても触れなかったのに
今年は、そうせずにはおれません。

何だかそのぉ、妙な歳になっちゃったんじゃないかなと思います。


2011年7月13日水曜日

それでもやっぱり旅に出させて


旅に出なくても良い程度にならんもんかと
往生際の悪い私はジタバタバタンとなりながら
別の美容室へと行って来た。
「 短いですねぇ。 でも中途半端に長い部分を
切ってしまった方が扱いやすくなると思いますよ。
後は伸びるのを待ちましょう。 」
ということで、その中途半端に長い部分を
また切ってもらった。
幼い頃からずっと切らずにいた長い髪を
初めて切った小学生以来の短い髪だ。
小学生みたいでいて、おばあちゃんみたいな短い髪だ。


頭にへばりついた元気なタコみたいな私の髪は
イチゴのへたのようになった。


2011年7月12日火曜日

イメチェン失敗


イメチェンと言ったって、定かなイメージが
そもそも私にあるのかと言われると…
…ない。
イメージがないのにチェンジもないものだが
要するに失敗だということは定かである。
バッサリと切られ、床になす術もなく
散らばっていた私の髪を
あのようにな目に合わせるのではなかったのだ。

私以外にこの髪がどのような状態であっても
さほど気になる人はいないだろうし、

いつかは伸びるものだということは
わかってはいる。

それでも、私は旅に出たい。

2011年7月7日木曜日

似た者同士の犬と私。


出勤の車の中。
助手席の犬を見るといい笑顔だった。
いい笑顔なのに上瞼に蚊がとまっていた。
こんなに可愛い笑顔でいるうちのコに、
卑怯な場所を。
許さん!と思った。

場所が場所だけにバシッとも叩けないので、
飛ばせてからバシッとしてやろうと思っていたのに、
思えば飛ばせた余裕がもう負けを決めていた。
案の定バシッどころか、
離陸する飛行機を眺めるように
ただ見送っただけだった。

見送られた蚊はもう手の届く所にはいなかった。

見つめる犬に視線を戻し
「 笑ってるのはいいけど
蚊がとまっていたことに少しは気がつきませんでしたかっ?! 」

聞くしりから、私の上瞼は痒かった。

2011年7月6日水曜日

今日の犬と私の関係。


今日、送迎から店に戻ると
いつも助手席に乗っている犬が
今日はお留守番させられたのが気に入らなかったらしく
スタッフに聞いても、催促の声一つ出すことなく
大小ペアでトイレを済ませておられた。
自分の敷物の近くであり、
私の机の近くでもある場所で・・・。

私は 「 あっ 」 にもならない あっしか出なかった。

ソファーの長椅子の肘掛に片肘をのせ
横座りした両足はソファーの上
軽く手を重ねるようにしたかのような
雰囲気を醸し出しながら

帰った途端に小さくあっみたいなことしか言えなかった私に

「 あなたはどこに行っていたのかしら? 」
と犬は言った。

「 ごめんなさい。 すぐに掃除しますから。 」
と言う私に

「 そうね。 そうして頂きたいものだわ。 」
と犬は言った。

これはノンフィクションです。

                                                               

2011年7月5日火曜日

おばちゃんかな?


タイトルの おばちゃんかな? は従妹が私に聞いたのです。
何でも、電車に乗っていた時に隣りに座っていた若い女の子が
本格的にお化粧をしだし、
肘がしょっ中従妹に当たるのにも関わらず
全く気にもかけずにお化粧に没頭していたようで
従妹と反対側の座席を見ると十分なスペースが空いていて
当たらないように座る位置をずらすこともしないまま
何度も何度も突つかれるのに
とうとう我慢出来ずに言ったそうです

「 もう少しそちらに寄ってもらえませんか? 」 ではありません。
そんな言い方をするから、自分でおばちゃんかなと問うことになったのです。

一言 「 当たらんようにしいよ。 」 だったそうです。

びっくりするやらおかしいやらです。

「 言ったん? 」
「 うん、言った。」 ときっぱりです。
そして、「 だって限界超えたんやもん 」と言いました。
でも、自分がおばちゃんになっていたことがイヤなのでした。

「 おばちゃんやと思う? 」 とまた聞かれました。

否定して欲しいに違いなく、否定以外に何が彼女を救うのでしょう?
だから・・・
「 ううん、大阪のおばちゃんやったらこう言うよ。
おばちゃんの若い頃やったら、電車の中で化粧なんか考えられへんわ。
そんなみっともないこと、ほんとにもう・・・ってね 。」

従妹は 「そうよねぇ。」 と言いました。

「 今度また同じことがあったら、そんなみっともないこと…と言いながら
自分のバッグから、おにぎり出して食べるというのどう?」 と言ってしまいました。

良かった。
従妹も笑っていました。
うなずきながら笑っていました。
明日からバッグにおにぎりインかもしれません。

こんな場合、怒っていないにもかかわらず
「 アホ言いな! 」 って大阪のおばちゃんは
本気で怒ってるか怒ってないかわからない感じで言うんですよ。

従妹はまだ片足ともう一方の足首までしか
おばちゃんの領域に踏み込んでいないようです。

                                                              

供血犬


友人の家のコが緊急に輸血が必要になるという事態が
起こりました。
そのコは柴犬でした。
20kg程の体重がある6才未満のコが望ましい…となると…
本当に難しかったのです。
必死でした。
時間がありませんでした。

そして、バーニーズのバニラちゃんのお陰で
無事に輸血をすることができました。
シェパードのロンちゃんも次に控えてくれました。
京都からも駆けつけてくれました。

大切に思う気持ちは誰もが共通の思いであって
うちのコ、よそのコを分け隔てすることのない
犬を愛する人の心に触れることのできた
とても貴重な経験でした。

黒ラブのカームを想いました。
カームも輸血が必要になったコでした。
一度の輸血の後、次に適合するコが見付からず、
苦しい呼吸の中、亡くなってしまいました。
心の優しい、愛情に溢れた素晴らしい犬でした。
あんなに苦しい最期を迎えなければならないような犬では
決して、決してないのです。

こんな事態に直面した時に
助け合える体制をどうにかとれないものだろうか?
そんなことばかり考えていました。
何回もの輸血で容体が安定したコもいるのですから。

できないことではないと思います。
できないことではなかったのは今回実証されました。
小さな輪ではありますが、それでも助けることができるのです。
一度も会ったことのない犬ですが
そんなことは問題にされませんでした。
ただ助かって欲しいと願う、その心だけです。

遠くにいるコもその近くに誰かがいます。


「ここに今輸血が必要なコがいます。」

その情報さえ伝われば
きっと、そのコには大きな可能性が生まれるのではないでしょうか?

何市 何病院 何kg位の供血犬 緊急を要す!

情報網が必要だと思いませんか?


                                                                                                                                                                        

2011年6月13日月曜日

犬との会話

                                                      うちの犬は最近、耳が遠くなってきたようだ。
年齢的には仕方ないのかもしれないが
うちに来た時には、既に渋い大人だったのを
何年経っても年齢に足し算することなく、渋いままにしていた。

耳が遠くなったのは恐らく間違いはないと思うのだけれど
その度合いが定まらない。
好意的に考えると、音の周波数とかの違いで
聞こえたり聞こえなかったりがあるようだが
本当にかなりの好意的な意見であって
殆どの場合、犬の気持ちひとつのさじ加減ではないだろうか。
さじも基本私用の1つなような気がする。

百歩譲って、本当に聞こえないとしても
テレパシーとかの何らかの力で
通じても良さそうだと思うのだが
一切通じなくても、犬は寂しくないのだろうか?
私は寂しい。

それでも時々は何も言わなくても、何でも理解している動きをみせる。

結局のところ、対私に関しては、犬のさじ加減なのだろう。
1本の私用のさじ。
小さな小さな、耳かきみたいな私用のさじ。
                                                            

2011年6月9日木曜日

看護の不思議体験

                                                     犬や猫が病気などになった時
私は横にもならずに世話をすることが常で
勉強で徹夜どころか、僅かな睡眠不足も一切考えられなかったほどの私が
よくもまぁ、連日睡眠らしきものさえとらずにいるものだと
昔から、よく家族を驚かせていた。
それは自分でも不思議で
本当に寝ずにいても、心配と何とかしてあげたい気持ちとで
いつも睡魔にも襲われず、倒れることもなく乗り越えられるのだ。

高齢で腎不全になった猫の看病をしていた時もそうで
それこそトイレと猛ダッシュのお風呂の時に家族にお願いするだけで
あとはつきっきりの状態だった。
しかも眠っている猫の顔を覗き込む位の至近距離にいつもいて
私のまばたきによる風があれば、あたるくらいだったと思う。
もっとも、事実は鼻息かもしれないが・・・。

腎不全の為に、必要な点滴を連日行っていたものの
血管を確保している針が数日で使えなくなり
手、足の血管のローテーションになっていた。
でも、その猫は交通事故で片足を付け根から無くしていて
一巡するのが普通より早い。
いよいよ、使える血管が無くなった。

それまでも点滴を2度ほど、1日お休みする時もあったのだが
てきめんに腎臓の数値が悪化していたので
3、4日のお休みには、正直絶望しかなかった。

最初の朝、「 今日は病院には行かない 」 と宣言し
部屋の空気を入れ替えて、アロマを使ったり、
音楽を聴いたり、日向ぼっこをしながら一緒にウトウトしたりで
不安はあるものの、絶望的な気分が消えてくるくらいに
不本意ではあったもののリフレッシュしていて
すると、なんだか猫の方もいい感じに思えたのだ。

そうして、4日経ったが
食事もできなかった猫が少し食べることができるようにもなっていたので
私は1週間おくことにした。
毎日病院へと出かける時、猫はイヤだとはっきり言っていた。
もうイヤだという鳴き方で訴えていた。
だから余計にもう少しお休みさせてあげたかった。

そして、1週間。
猫は数値も正常に近い位に良くなっていた。
検査したのは元気になった裏付けが欲しかったからで
それは誰の目にも明らかな位だった。
一緒に働いたことのある先生なので言われたが
先生も正直、ダメだと思ったそうだ。

それからネコちゃんは21歳まで元気に暮らした。

( 猫は事故の時に病院に運ばれ2度の手術の後、
足を失うことになるのだが、リハビリの段階からうちの猫となり
名前の無かった猫を入院中にネコちゃんと呼んでいたので、
それがそのまま名前になった。 )

腎不全で非常に数値の高かったネコちゃんが
一時だけでなく、その後も良い状態のまま長生きできたのは
本当に珍しいことだと思う。

それが私には不思議でもあり、何の不思議もないことでもある。

連日連夜、疲れ切った私の顔が
目覚める度に超ドアップで見えていたなら
きっとネコちゃんも、自分のせいで私が辛い思いをしていると
苦しんでいたのではないだろうか。
私が鬼のような形相でいることが悲しかったのではないだろうか。

このことが、それからの私を変えたと思う。
今も相変わらず、いざという時は寝ないで看病するのだが
自分自身を追い詰めてしまうことがないよう
どこかで、必ず気分を変える努力をしている。
神経をすり減らさないこと、心を頑なにしないこと。
努力しないと心配と不安が勝ってしまうのだから仕方がない。

それが、逆にあのコたちに心配や不安を与えないことにつながる。
大切なことだ。
何より大切なことだから、自分に言い聞かせている。
                                                                                                                         

2011年6月7日火曜日

ハハハ、怒られてやんの。

                                                      うちの犬、とうとうやらかしてくれました。

実は、家の中での奇異な行動は
殆どは私しか知らないうちに行われ、知らないうちに終了するので、
私が言うおかしな犬というレッテルは
家族にとっては、レッテルを貼ってる私の感覚が込みになっていてこそ
おかしなと表現されると思っている節が
無きにしも有らずなのでした。

しかし、おかしなをとうとう証明致したのです。
正座まではいきませんでしたが
もう寝ようかとする直前
寝ころがってはいるものの
例の部屋のやや端っこで
首だけを伸ばし
何かを考えるかのような例のポーズを
しばらく続けておりました。

そこを私は発見し、ただちに家族に報告した上で
前は正座だったこと、もっともっと壁に近い位置にいることなどを
ちくりながら、指さしまでして見るように促しました。

突然、後ろから肩を叩かれ、「 何やってんの!? 」
と家族から言われた時の犬の反応は
いたずらを咎められた時と同じでしたが
その後また、しらっと続行することがなかったのは
いたずらと違うところで( いたずらならしらっと続行するのです )
やっぱり、犬にとってもいたずらとは質の違う何かなのだという
ことも判明しました。

「 いっつも、もっと時間も長いし気持ち悪い。 」 
とまで私が言ったのを犬は聞き逃すはずはありませんでしたが
その後も家族の前では、ずっと私のどこかしかに引っ付いていて
「 仲いいね 」 って言われる微妙な関係を保っています。

次に何をしてくるか
おかしな犬の行動は飽きることがありません。
                                                             

2011年6月5日日曜日

高齢犬などのケア美容

                                                      高齢に限らず、障害のあるコや心臓病のコなどもそうですが
一般のトリミングの目的とは若干異なった目的、
例えば、排尿や排便が上手くいかないとか
どちらか一方が擦れて赤くなるや
口元、目元をきれいに保つのが難しいなど
そのコの生活の状態に応じて
もっとキレイを保ちやすい状態にする為の美容を
うちではケア美容として行っています。

長く同じ体制がしんどくてとれないコや
刺激が咳を誘発してしまい、発作的なものの心配なコなど
犬の世界にも高齢化が進むと考えていた6年くらい前から
取り組んでいます。

1番大切なのは、状態が悪くならないことは勿論ですが
できるだけキレイに、でも出来る限りのスピードで・・・。
その為には複数のスタッフでさせて頂くことと
お預かりからお返しまでの時間を如何に短くで済むようにするかの
スケジュール調整をきっちりすることと考えています。

常に緊張はありますが、気持ちよさそうなすっきりした様子を見ると
幸せを感じます。

介護用品の無かった時代が長く続き、
その時には人の物や何かの材料を工夫して使ったり、
作ってしまったものもありますが
ここ何年かで少しずつ世の中も変わり、高齢犬グッズもできてきました。
それをもう一つ手を加え、より優しいものにして使っています。

その優しさは、そのコに応じて必要なもの
必要なこと
必要な部分が微妙に違うのと、
同じコでも時に応じて変化するので
やはり手作りでしか難しいように思うのです。

微妙な優しさは物だけでなく、
トリミングなどのお預かりの時にも必要です。
その微妙な優しさを理解できるのは
やっぱり家族が1番ですが
今に至る状況の変化をよく把握できていることで随分違ってくると考えています。
トリミングにかかる時間もそうですし
どこをどうすればいいのかもわかりやすいということも
言えるのではないかと思います。

シャンプーは今はしない方がいいけれど
この部分は短くしておきましょうとか
今日のところはお尻まわりだけのシャンプーとカットとか
汚れやすい部分のカットだけとか
そんな風なことがケア美容として必要と考えているのです。

一番はより快適に過ごしてくれて
より長く一緒に暮らせることですから、
その為のお手伝いができることは嬉しいです。
                                                                                                                                 

2011年6月2日木曜日

脱臼の固定の期間。

                                                      小型犬で膝の関節が外れるコはとても多く感じます。
外れても自分で戻すコもいますし、
外れたり、元に戻ったりに痛みがないと
歩いていてもしょっちゅう、繰り返しています。
私が動物病院にいた時代からこのケースで来院されるコは多かったです。

大型犬には股関節形成不全が遺伝的な問題として
よく聞かれると思いますが
小型犬でも怪我で脱臼するコが多いと聞きました。
昔は事故以外であまり来院されることが無かったのですが
フローリングやソファーなど生活環境の変化もあるのかもしれません。
強い衝撃で外れたのか、
関節のお皿の方の骨が浅い、元々外れやすい骨格かは
レントゲン写真で診て頂いたら判断されると思うのですが・・・。

言いたいことは・・・
手術や手術でなくてもしばらく固定が必要になる場合
特に曲げたまま固定されている場合
元々外れやすい骨格でも何でもないのに
何故か固定が長すぎる為に、曲がったまま元に戻らなくなってしまったコを
見かけることがあるということです。
人間なら、固定は不自由で、固定がとれて今度伸ばすのが痛くても
元のように戻す為に、リハビリを頑張ると思いますが
ワンちゃんは固定に順応するのが早くて、とても器用に
とても健気に頑張ってくれます。
固定が取れても、今度は伸ばすことの方が痛かったり、
不自由も無いのだから、無理する必要もないので
それで曲げたままになってしまうコがいるのです。
ひどいのは固定期間が長過ぎることで、曲げたまま固まってしまうことで
あまりにも悲しすぎます。

曲げたままに、曲がったままになったコもいましたし、
再手術が必要になったコもいたんです。

そして、今度も本当に大変なことがありました。
股関節が外れたまま固定されてしまっていたんです。
固定期間もびっくりの長さ。
でもお家の人が、心配の中いろいろと聞かれたことで
結局は別の病院に連れて行かれたので
今はもう安心できます。
本当に良かったです。

この日は他にも具合の悪いコがいて
そのコも変に心配なお話になっていたんですが
とにかく本当に信頼できる先生かどうかが大切ですね。

もしまだそんな先生に出会えていなければ
今度の方々のように
大切なコを守るのは自分たち家族という気持ちと
それにつながるセカンドオピニオンを躊躇わない
そんな愛情の強さではないでしょうか?

ね? ぷーちゃん、モコちゃん。 
                                                                                                                                                                                                                                                        

2011年6月1日水曜日

もこちゃん、これ携帯電話。

                                                      昨日の出来事。

もこちゃんはプードルの女のコ。

帰りの車の中、助手席でウトウト睡魔と闘い中。

もうすぐほっぺがクッションに引っ付きそう。

「 もしもし・・・・・・・ 」 とマイクで通話の私。

「 では、よろしくお願い致します。 失礼致します。 」

んっ?

完全に私に向かって正座で、私を見ている。

その目がびっくりまなこのまばたきなし。

もこちゃんは、自分しかいない車内で

私が前を向いたまま、結構しっかり口調で

自分にではなく、一人で話している私が不思議を通り越して

心配も通り越して

固まってしまった・・・。

長いこと、いろいろ見てきたつもりだけど

もこちゃんとも長いおつきあいで

でも、ここまで犬が驚いた目のまま固まったのを見たことがない。

思わず、「 私、大丈夫よ。おかしくないよ。 」 って何回も言ったけど

日頃から、な~んかあやしいって思われていたらと考えると

ほんと、私の悪夢にうなされていなかったらいいんだけど。

もこちゃん、ほんと大丈夫だからね。

私、そこそこでキープしてるから ねっ 。
                                                                                                                                                                                                                                                          

2011年5月30日月曜日

新たな展開

                                                      うちの犬の毎夜の恒例行事のことですが
「 まだしてる? 」 とご質問を頂きます。
ご心配おかけしております。
私の質問以来、プツッとやる気を無くしたようで
お陰様で落ち着いております。

いえ、落ち着いておりました。
が、ここ3日ほど新たな行動に出ておりまして、
私としましては、この際また少しの我慢かと諦めております。

今までは、私が椅子に座っている時は
殆どの場合、足元に寝そべっているか
さっさと私からは見えない自分の場所でごろりとなっているかでした。

ところが、何を思ってか何をどうしたいんだか、
とりあえずは隣の部屋に行き、
きれいにきちんとお座りをした状態で( どうもこの姿勢だけは常に決まっているようです。 )
テーブル越しに私を見つめることにしたようなのです。
見つめると言えば聞こえはいいですが
監視だか観察だかわかりません。
わざわざ離れての、テーブル越しはそれだけで結構大変で
背筋も首もかなり伸ばさなくては見えません。
5分以上もよく続くもんです。
大変な様子は目に現れていて、
その目でただただ見つめております。

視線が気になって仕方ないのは
それがほぼ正面からのことだからで
視界に常に入ってくるのです。
まっ、気持ち悪いからという理由もあります。

100歩譲って考えてみると、
確かに足元や、すぐそばよりは
私と目が合うことは多いのですが
そんなことが満足なのでしょうか?
(なわけないわ)

それにしても、いつも思うのですが
止める時のあの変わり身の早さったらありません。

大事な用事を思い出した時の
「 あっ!そうだ! 」 ってな感じではありません。 

大抵の場合、ドサッと倒れたりするので
散々、人のこと凝視しておいて 「 あほらし、寝よ 」 って言ってる
としか思えないし、
そうとしか思えないのは、
結局はやっぱりそう言ってるからで、

その証拠に、100%寝てますから・・・。
                                                                                                                             

2011年5月29日日曜日

ミッキーのこと。

                                                      動物病院にいた頃にミッキーに出会いました。
ミッキーは、今ではあまり見かけなくなった
スタンダードのダックスの男のコでした。
9ヶ月くらいになっていました。
耳の先っぽが、もう一方より短くなっていました。
ミッキーが、自分で噛んで無くしたのです。
ストレスによるものだったようです。
その時点で元いたペットショップに戻り、
そして病院に来たのです。

ミッキーは幼い仔犬の時ではなく、
ちょっとしっかりし気味の仔犬の時にペットショップから
一般家庭に販売されたそうです。
数か月後にミッキーはショップの方に返されてきました。
ワンワンうるさいが返された理由です。
うるさくなったのには理由があるはずですが
本当にワンワンよくいうコになってしまって戻って来たらしいのです。
そこを別のお家の人が気に入り、
うるさいくらいが番犬にはいいと貰われていったそうです。
ところが、ところがミッキーはまたも帰って来たというのです。
今度は一切吠えることがなく、静かすぎるというのです。
そして耳が短くなっていました。

ミッキーは後に、私の義姉の家のコになり、
うるさくも静か過ぎることもない
ごく普通のコのまま、おじいちゃんになりました。

辛い時期があったことはミッキーにとって不幸なことなのですが
ミッキーはそんなことを微塵も感じさせない
毎日がとても陽気なハッピー気分のコで
耳が短いのも、
食いしん坊だからって、笑ってるようにしか見えませんでした。


問題は概ね、人間の方にあるものです。
やっぱりね・・・。
                                                                  

2011年5月28日土曜日

雨の日のトイレ

                                                      うちの犬には嫌いなものというか嫌いなことが多い。

中でも雨は苦手。
と言っても、本当は雨そのものではない。

ちょっと複雑というか、回り回って結局雨でなければいいのに・・・
といったところだ。

普段から、車に乗ることが普通だ。
そして雨の日も勿論、もれなく乗ることになる。
車が動く。
ほどなく停まる。
その瞬間に犬はイヤな気分になるらしい。
今でこそイヤな気分くらいで済むようになったが
最初の頃なんか、ほとんどパニック状態で車内をオタオタしていた。
停まることそのものがイヤでは無いのはわかっていたのだが
原因究明までには少し時間がかかった。
私の車だけかもしれないが
雨の日にはブレーキを踏む最初の時に
どこかで小さく小さくキュウッと音がするのだ。
こんなことが、ほんとこれしきのことがパニックの原因だ。
人間の耳には聞こえにくい程度のきしみの音の周波数は
犬笛に限りなく近いとしか思えなく
しかもガラスをキーッと引っ掻く音に近いのか
今から痛いことをされるその瞬間の悲鳴に近いのか
そこまではわからないものの
かなりいい線いってる表現であるはずだ。

このおかげで、説明の難しい、把握も難しいに違いない車の調整を
度々お願いすることになった。

音が犬の耳にも聞こえにくい程度にまでなったのだけれど
雨の加減で音の大きさやイヤな感じに聞こえるのが
違うらしい。
だけど雨が降るとイヤな気分という図式が出来上がり
雨の中で濡れるのはさほどイヤではないものの
気分はダークブルーな犬なのだ。

特にひどい音のする雨の日は犬は外に出たがらない。
その結果、トイレもかなり我慢している。

いつもなら激しい催促で外に連れて行ってくれ~というのだが
この日ばかりはとっても静かにしている。
行こうと誘っても、聞こえないふりまでする。

そして限界に近付いても
ひたすら我慢しようとしているのだが
その頃には誰の目にも我慢の限界がわかるようになる。

犬は我慢で小刻みに震え出している。
浮上する時の潜水艦みたく頭を上げて
寝てるふりすらできなくなっている。

誘うと、それでもようやくイヤイヤに
行ってもいいけど・・・って感じでついて来る。
                       
こうなればドアを出た所が限界だ。

雨の日、濡れずに掃除できる私にも好都合だけれど・・・。
震えるほどの我慢は如何なものだろうか、キミ?
         
                                                                   

2011年5月25日水曜日

今年もまた・・・

                                                      暑いです。
私は暑いです。

「 今時分から去年もこんなに暑かったっけ? 」
そして
「 今からこんなに暑かったら、夏はどうしたらいいんでしょう 」
それに
「 今からこんなん着てて夏何着るぅ? 」

直後に
「 毎年、言ってるよねぇ 」

本当に毎年毎年この時期になると絶対に確実に交わされているに違いない会話。

きっと昨年もこのように暑かったに違いなく
そして今年もまたその暑さをどうする術もなく
だからといって、これ以上の露出で世間にご迷惑をおかけするでもなく
ただひたすら
ぐだぐだのでろでろのだれんだれんの状態で

「 ダイエットしないと余計に暑い 」
とかなんとか戯言をかなりの頻度で言いながら

結構ハードに暮らしてるのに何で痩せないと自問し
自答は敢えてしない。

あ~ そんな夏がやって来た。

                                                            

2011年5月19日木曜日

老犬の体温調整

                                                     老犬になると体温の調整が上手くできなくなる。
元々が暑がりのコであれば、クーラーを入れるのは
暖房を切ったのと入れ替わりほど早いこともある。

後肢が立てなくなったラブラドルのレオ君がいた頃は
冬でも車に暖房を入れるのは稀で
朝一番に乗る時だけ、冷え込んでいる空気を少し暖めれば
後はずっとそのままでいた。
少しでも入れると暑がったくらいだ。
私と寒がりの例の犬は
いつも毛布にくるまれた状態で乗っていた。
部屋の中でも真冬の夜中から明け方には必要であったけれど
心地良いと思う程の室温ではハァハァいってしまう。

夏ともなるとガンガンギンギンに冷房を効かせた状態を
保っていたので、
私達はやっぱり寒かった。
身体の芯まで冷えることも度々だった。

動物病院に着いた時
冷房が必要な為、エンジンをかけた状態にして
先に診察券を出しに行ったのだが
車を降りた私を呼んでいたらしく
わずか2、3分後には
冷房の効いた車内でレオ君はハァハァいうほどで
濡れタオルで身体を冷やしたりした。
最近の様子などを先にお話しでもしていたら
幼児を車内に閉じ込めてパチンコしていたお母さんみたいなことに
なってしまうところだった。

変わってシーズーの老犬だが
シーズーも暑さは苦手な犬種だ。
お鼻の短いタイプのコは若い時から暑さに注意が必要なので
何も特別ではないのだが
うちのコはお年寄りになってからは保温が必要にと変化した。
なので夏も少し暑いくらいが良く、冬はかなり暖かくしていた。

老犬になると若い時と同じようにはできないし
犬種特有なものだけで暑がり寒がりの判断もできなくなる。

そのコそのコによって違うのは勿論だが
特に気を付けなければいけないのは
同じコでも、その日、その時の体調や少しの動きの変化で違ってくるので、
よく見るということが必要かと思う。

その為にも体調の良い時に呼吸の仕方や心臓の動き、脈の状態を
こまめに確認していれば、日常の状態を把握しておけるようになるので
ちょっとした変化にも気付きやすい。
老犬には特に必要ではないかと思う。
                                                                                                                                                                                                                                                                             

2011年5月18日水曜日

これもまた良し。

                                                      Moonが逝き、離れて暮らすようになって4ヶ月が経った。
もうなのか、まだなのかは自分でもわからない。
こんなに長く離れているのは初めてだけれど
それでも何とかやっている。
そして、多分あのコも何とかやっていると思う。

ただ何とかお互いやっているのも
これも多分だけれど
やっぱり、ちょくちょく私のそばにいるのだろうと思う。
そうでないと、何ともやっていけるわけがないはずだ。

仕事を終えて家に戻った時に
ご近所迷惑を心配するほどの
熱烈な出迎えがないことにはどうにか我慢できるようになった。
二人三脚みたいに足がもつれそうなほど前を後ろを
ひっついてこないのにも慣れて
一人で規則正しく、右、左と足を出している。

こんな風に他のことも1つ1つ何とか1人でやっている。

でも昨夜、突然シーツをガシガシと掻く音を聞いた時、
間髪入れず口をついて出たのは
「 ダメよ Moonちゃん! 」 だった。

耳にした私の言葉に一気に身体から力が抜けた。
それはないわ。
こんな不意打ち、どうしたらいいのよ?
だってそれはMoonがいっつもして、だから私がいっつも叱って・・・。

真犯人は勿論知らん顔していたけれど・・・。

毎日、我慢して自分をあきらめさせたり
誤魔化したり、なんかふりだけしたり
それなりにやってきてるのに
これくらいのことで、
なんかメッキが剥がれたみたいな気持ちだった。

確かに昨日はちょっとねだったけれど

それもまぁいいんじゃないかと思っている。
久々怒ってやったから
多分、ギョッとなっただろうし
いつものように叱ることもしないと
甘やかしてグニュグニュばかりもしてられないから。

だってそうやってずっと暮らしてきたんだから。

これからも変わらないでいい。
これからもずっと変わらずに、
こうしてMoonと暮らしていくんだって思っている。

それにそう、これはMoonと約束したことだから。

                                                                                                                                                                                                                                                   

2011年5月17日火曜日

犬とは分け合う。何故なら仲間だから。

                                                      基本的な姿勢として
私はあれやこれや何でも犬に食べさせることをしない。
まして自分が何かを食べている最中にそれを与えるなど無い。
これが私の考えだ。
理由としてもっともらしいことを並べることもできるのだけれど
単に主義として、店でも家でもそうしている。

でも・・・

それは食事に関してのことだ。

私が食事をする。
だから、犬は犬の食事をする。

お互いに自分の食事をするだけだ。

食後に何かを食べる。
車の中などで何かを食べる。

これは食事ではない。

これは自分の楽しみなだけだ。

その時に私は自分だけでそれを食べてしまうことができない。

分け合うのは道理。
仲間として1つを分け合わないで仲間と言えるのか?
楽しみは分け合うものだ。

犬も当然仲間としての権利を目で主張している。

分け合わないなど後で罪悪感に襲われるほどだ。

なのに、ごめんね。

どうしても公平には分けれないこの私を許して欲しい。
それが犬の為なのか、私の為なのかの答えがどうしても出ないのだ。

だからこの先も、ずっと気付きませんようにと願う私も許して欲しい。
                                                                                                                          

2011年5月16日月曜日

犬は心の支え

                                                     犬の儀式は少しずつ終息に向かってきたようだ。
宇宙人と交信しているのかと聞いた途端止めてしまい、
翌日から私が見ると止めている。
的を得ていたと思うほどだが
そんなバカなことを二度と言わせまいとしているだけかもしれない。

結局はこの犬にしてこの人間ありで、
この人間にしてこの犬でもどっちでもいいのだけれど
結局言いたいのは私たちは似たもの同士だということだ。

今も犬は横で完全に眠っているような恰好で横になりながら
実は大きく目を開いていて
何かを考えているようにしか絶対に見えない。
何か小難しいことを考えているように見せかけているだけだ。
それがわかるのは私だけだと思う。

この犬と私が巡り会えたのは殆ど奇跡みたいなものだ。
1秒早くても遅くても出会うことはできなかった。
神様なのか、先にあちらの世界に行った誰かの仕業なのか
答えが出るわけはないのだけれど、
真剣に考えることも多かった。
本当に不思議な縁だと思う。
不思議な縁の不思議犬だ。

この犬のおかげで私は随分助けられている。
町内会でのごみの分別かごを出す当番の時に
一緒について来てくれる。
いや、こんなことではなくて
精神的な面で大いに支えてくれているということだ。

例えばこうだ。

例えば・・・

・・・・・・・・・・・・・  


出てこない 。
 
                                                                                                                            

2011年5月14日土曜日

うちの犬が変だ・・・。

                                                      うちの犬が変なことをご存知の方は大勢いらっしゃるくらいで
何も今更という感じではあるのですが
一緒に暮らしている私でさえ、
ぎょっとすることがここ最近加わりました。

そろそろ寝ようかなと思いながら犬を見ると
犬は背を向けるようにしてお座りをしています。
頭は完全にうなだれているものの背筋をまっすぐに姿勢良く座っています。
背を向けるくらい何でもないのですが
そこは部屋の角、頭は壁から20センチ位の位置なのです。
まぁ、位置的にも何でもないことにしてもです。
それが10分は続きます。
時間的にも何でもないことにしてもです。
お布団に入る前、普通に寝ていた犬が
私も眠ってから寝返りをした時にたまたま犬を見たら
うす暗い部屋の隅でこんな風に固まっていたらどうですか?
正直怖いです。
最初、見なかったことにしようと私が背を向けたのですが
気になって眠れず、もう一度見てみると
同じ姿勢のままうなだれていました。

勿論具合が悪いわけではないのです。

これがここのところ毎夜恒例の行事となっております。

私には見えないものが見えているのか
就寝前のお祈りなのか
あのうなだれ具合からして
今日一日の反省なのか
何か同情をかいたいのか
彼女にしかわからないことなのですが
1日も早く飽きてくれないかと私は秘かに願っていました。

でもなかなか止める気配もなく
うす暗がりで見続ける勇気もないので
犬がコレを終えてから寝ることにしたのです。

それにしてもです。
こんなことで就寝時間が遅くなるというのはどうなんでしょう。
それで、犬のうなだれた背の後ろで私は
「 うちのこの犬が普通の犬になりますように 」 とお祈りしています。

この私たちの姿をもし別の家族が見たなら
やっぱり見なかったことにするでしょうか?

                                                              

2011年5月8日日曜日

なんで?

                                                      長引く咳と鼻水は風邪ではなく黄砂によるものかもしれないそうだ。
そういえば、前回声が出なくなった時もひどい黄砂の時だった。
とうとう、アレルギーになってしまったのだろうか。

今回の発熱や風邪や黄砂やよくわからないものは
この私に、信じ難いことであるが食欲を奪った。
というか、味覚も嗅覚も全く機能していない。
なので、余計に食欲はなく
現にろくに食事をしていない状態が続いている。

なのに、なのにだ。
こんなことがあっていいわけがない。

言いたくはないのだが、言うけれど体重が減らない。

なんでだろう?

日々身体を維持するためにも
最低限のエネルギーはいるだろう?
その上発熱しているとあっては頑張る必要もあるだろう?
ならばどうする?
どうぞ今こそ、この余分なところから必要以上に持って行っておくれ。

おい今、体重が減らないで、いつ減るというのだ。
今、この機会を逃したら永遠に訪れないかもしれないこの機会でさえ
見送るつもりでいるのか?
自分をなんだと思っているのだ?


そして、今日。
久々に若干、味覚も嗅覚も戻ってきた。
当然のように食欲も戻って来たがっている。


もう遅い・・・。

                                                             

2011年5月7日土曜日

だれ?

                                                      車で信号待ちをしていた。

横断歩道の左手から中年のおじさん。
右手からおばさん。

2人は丁度真ん中あたりですれ違った。

すれ違い様、おばさんはおじさんの腕をつかみ
大きな声で 「 わかれへんかった? 」 と言った。

おじさんは声こそ聞こえなかったけれど、全く気付かなかったという感じで
大きく何度かうなずいていた。

「 アハハハ 」 と豪快に笑いながらおばさんは自分の進むべき方に向かった。

私はおじさんを見ていた。

おじさんは、おばさんを何度も何度も振り返りながら、
その度に頭をかきながら大きく首を傾げていた。
おじさんは笑い声を残し去っていくおばさんを全く認識できていないのだ。
おじさんの困惑ぶりは、気の毒なほどだった。

それはそうだ。
私だって、母だとしても自信はない。

テレビの通販でもあのバージョンは見たことがない。
顎の下まで真っ黒なサンバイザーがついた帽子に後ろも肩まで黒い布が下がっている。
おばさんは私が思うにダースベーダーなのだ。

「 そら、わからんやろ 」 と言いながら助手席の犬に同意を求めると
犬は助手席に優等生のような姿勢で座っていた。

犬はおばさんだけを見つめていた。
緊張を緩めることなく、まばたきすることもなく・・・。
                                                            

2011年5月6日金曜日

協力的な犬

                                                      久しぶりに風邪で寝込んでしまった。
風邪自体、もう何年かぶりのことで、危ないと思っても
とにかく気合で回避してきたつもりだが
何とかは風邪をひかないということだけかもしれない。
少しかしこくなった私は
解熱剤が効く時間がわかるくらいに正確に体温が上下していた。

なので、私は何年かぶりに1日中お布団の中にいた。
うちの犬が来てから初めてのことだ。

この事態にうちの犬がどう出てくるかは全く想像できなかった。

口汚く罵られながら、起こされることになるのか
暴力的な実力行使にでてくるのか
自然の摂理としての実力行使でシラーッとでてくるのか
本当にわからなかった。
わからないまま、ひたすらその時がやって来るのを
恐れていた。

しかし、事実はこうだった。

犬はひたすら寝ていた。
毛布をガシガシどうしたいのかわからない形にすることなく
きれいに寝ていた。

食に関しては、大いにムラのあるいつもと違い、
大人しく毎食きちんきちんと食事した。
食器にガンガン迷子札をあてることもせずにだ。
「 食べたぞ~っ 」 っていちいち大声で言っても来なかった。

緊急用のトイレで静かに済ませてもいた。
その後もふざけたりはせず、大人だった。

お水を飲んだ後やって来ても、口はボトボトなんかではなく
全く乾いた状態のお上品な口元でいた。

たまに、横に寝たりもした。

横で甘えたりもした。


別犬だ。

やればできるのだ。
やっぱり、普段はしないと決めていただけだったのだ。


しんどい時に協力的な犬は本当に助かる。
そして普段から協力的なら、もっと助かる。


                                                               

2011年4月28日木曜日

咬み犬

                                                     家の人を咬むというシェルティーがいました。
3歳の男のコでした。
お家にお孫さんができたので、もし咬むようなことがあったらいけないので
どなたかに貰って頂きたいということでした。
簡単に言えば、うちの孫だけが大事だということです。

その犬を空港に迎えに行き車に乗せました。
車内の汚れによる悪臭は
窓を全開にしても数日はとれることがありませんでした。

咬むという行為は、怒りによるものではありませんでした。
どちらかというと、怒りの感情をあまり持つということのないコでした。
食事中に食器を取るとか身体に触るとかで怒ることもありません。

嬉しい時、楽しい時など
少しテンションが上がるという時に前歯でカチッと咬むというような
そんな感じです。

ですから、普通のコで言えば、尻尾を大きく振って飛び跳ねるような
そんな時で、結局感情表現がわからないというような感じでした。

来た時の悪臭や前のお家の方のお話から想像すると
殆ど相手にされず、何もわからなかったのだと思います。

ただお座りと待ては教えられていて
うっかりヨシを言い忘れていたりなんかしたら大変、
いつまでも食べずに待っていたりするようなコだったのです。

こんなコが喜びの表現や愛情表現を知らないでいるとは
こんなバカな話はありません。

触れられることは嫌いではなく、嬉しいのです。

咬み犬という烙印は正しくはありませんでした。

咬む犬を咬み犬と言いますが
咬む犬にしたのは、病気でなければ殆どの場合は人間です。
人間が咬む犬に育てなければ、咬み犬はいません。

咬む犬に咬まれないようにすることは、自分の身を守るということだけではなく
咬み犬にしない為にも大切なことだと思います。


複雑に要因が絡みあっているようなことが多い現在
恐怖、神経質、わがままの中にもいろいろあり、
簡単には判断できないところもあって、
その上、脳自体の問題を抱えるコも以前より多くなっていると聞きます。
本当に難しくなってきているのだと思います。
それも人間社会と共に変化しているのでしょう。
精神的な面も簡単なことではないかもしれませんね。


うちの犬も常に何か考えごとしている顔をしています。
私より数段、難しいことを考えているかもしれません。
例えば、私の将来のことなど・・・。

そりゃぁ いつか1度くらいは咬みたくもなっているでしょう。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

2011年4月27日水曜日

実は・・・

                                                      2日が限界かもしれません。
実は家族にブログの内容について注意されました。
そろそろ、いや、いい加減だったかな、真面目な内容にしなさいと。
それで丁度、お電話頂いたこともあって介護のことと抱っこのことにしたのですが
かと言って大した内容でもなく、3日も真面目は続きません。

また、整体のお話です。
腰痛はほぼ無くなりました。
それと嬉しいことに姿勢がよくなってきたように思います。
胸が広がったというか、肩が開いたというか自然に背中が伸びている感じです。

何より、嬉しいナイショですが、
絶対に脂肪と思える身体のあちこちに付いたおぞましいかたまりを
先生は 「 老廃物 」 とおっしゃいます。
脂肪じゃない?老廃物~?
「 先生、それ脂肪でしょ? 」
「 いや脂肪じゃない、老廃物。 」
すごいきっぱり言われます。
「 本当に脂肪じゃなくて老廃物ですか? 」
「 そう脂肪じゃない、老廃物。 」
「 脂肪じゃないのかぁ~ 」
「 そう脂肪じゃない。 」

ねっ。
何回だって聞きたくなるでしょ?

勿論真面目に自分の身体のケアとして毎週行くことにしたんですけど。 

                                                                                                                              

2011年4月26日火曜日

老犬の抱っこ

                                                     昨日に引き続き老犬のことです。

基本的に若い頃と同じような抱き方ですが、注意する点が加わります。
無茶に手を持って抱き上げる方はそうはない( でもたまにいらっしゃいますね )
と思いますが、
筋肉が落ちていっているコがいますので
( ダイエットが必要な位に太っているよいうに見えて
実は脂肪はついているが、筋肉は落ちているコは多いです。
太もも部分がタルンとなってきたり、背骨だけ出てるようなコもそうです。 )
ダックスのように椎間板ヘルニアの多い犬種だけではなく
老犬になれば、極力身体は平行に抱っこして
どこか1ヶ所に負担がいくような抱っこの仕方をされないように、
歪まないように注意された方が良いと思います。
小型犬種であれば、自分の片腕を胸の所で曲げたその形の上に
胸からお腹が乗るようにして、もう片方の腕で全体を支えるような感じです。
そうすれば、背骨が歪むことなく真っ直ぐな状態で抱っこができます。
元気で抱っこ抱っことくれば、そのまま抱っこしてしまいがちですが
背骨を悪くしないようにと思いながら平行に抱っこを心がけています。

そして、もう一つ大切なことは
腕全体に身体をのせるように抱っこすることで
胸かお腹かどちらか一方に多く体重がかかることを防ぐということです。
胸を圧迫するような抱き方では、息苦しくなってしまい
ひどいコではチアノーゼのように舌の色が紫になってしまう場合があります。
シーズーやパグ、フレンチのようなマズルの短い、
所謂、短吻種では若い時でも注意が必要だったりしますが
老犬の場合も注意が必要です。
心臓や気管が弱っているようなコも多くありますので
胸だけでなく、喉の部分も少しの刺激で咳を誘発してしまうことがあり
これも苦しくなってしまうので注意が必要だと思います。
かなり呼吸が苦しくなっているコの場合は抱くこと自体も大変な注意が
必要になってきます。

呼吸の状態だけでなく、心臓の状態や貧血などの変化にも気付くことがあるので
舌を出している時には舌の色を見ることを習慣にされてもいいかもしれません。


老犬の眼差しはこれ以上ないと思うほどの優しさに満ちています。
確かに子犬もかわいいのですが、私は老犬が大好きです。
そして、どのコも何かしらかけがえのない大切なことを
教えてくれると感じています。
みんな本当に長生きして欲しいものです。
                                                                                                                              

2011年4月24日日曜日

介護するということ

                                                      お客さまからよく相談されることに介護がある。

介護とはどういうものかは、ある程度想像はされている。
恐らく身近に無い場合でも、テレビや雑誌などから
人の場合を照らし合わせて大体はこういうものだと理解されているのでは
ないだろうか。

私は経験だけは多くしてきたと言える。
その中ではっきり言えることは、介護とひとくくりでは言えないということだ。

ひとくくりでは言えないというのは、みんなそれぞれ介護に至るまでの
経過が違うからだ。
老犬もそうだが、同じ病気であっても症状が違ったり、経過が千差万別だからだ。
どうすればそのコがラクでいられるかは同じコでもころころ変わる場合もある。

一番わかりやすい例でいうと
床ずれ予防の為にも、時々は身体の向きを変えましょうとよく本にも書いてある。
でも、変えることが難しい場合がある。
どちらか一方を下にした場合、呼吸がしずらくなるということがそう珍しくないからだ。
勿論明らかに違っていれば誰でも気付くことができると思うが
ほんのわずかな呼吸の違いの場合も多く
結局は見ること ( この場合は看るではなく観察に近い意味 )が
とても大切に思っている。

少しでも痛くないよう苦しくないようにする為には
変化や様子を細かく見て、治療につなげていって貰うことが大切だと思う。

結局はそこから工夫も生まれてくるし
その工夫によってまた病状も安定していくことがある。
病気、高齢どちらにも同じことが言えると思う。

経験した数が多いと、工夫したものが少しあるということだけで
結局はお家の人にかなうわけがない。
一番に愛情で結ばれていて、一番に理解できる人がそばで看ていれば
本当にあとは、その時に必要かもしれないほんの少しの工夫だと思う。


決して介護の期間は苦労ではない。
睡眠不足や力仕事など、他にも大変だと思うことがその時にあっても
結局は振り返ると思うことはいつも同じだ。
それは、そのコがくれたかけがえのない大切な時間であるということだ。
わたしの為に時間をくれたことをいつも感謝する。
そしてその時間が今の、これからの私の大切な宝だと言える。
わたしにとって、恐らくは多くの人にとって介護とはそういうものだと思っている。

                                                                                                                                                                                                                       

2011年4月23日土曜日

雰囲気って・・・どうよ?

                                                      母親譲りの明るい髪のお陰で、ヘアカラーには縁遠くいたのだが、
ここに至ってそうも言っておれない諸事情も出てきた。
といっても、美容室に行くのがことのほか苦手だ。

私個人にとっては、必要以上の明るい照明の下、
必要以上の大きな鏡の前で、
もしや拡大鏡かと思える位に映し出された私の顔が、
てるてる坊主みたいに布から出ている様が我ながら耐え難いのだ。
現実は容赦ない。
時間がかかるとなるとなおのこと、罰ゲームであっても厳しすぎる。
それで思い切って自分ですることにして既に何度かになる。

そして今日、買い物のついでにヘアカラーの棚をのぞいた。
いろんな会社のいろんな種類のいろんな色がずらっと並んでいた。
いつものにしようか、変えてみようかどうしようかと悩んだ末
結局は止めて帰ることにした。
止めて帰る気分になったのは本当に気分的な問題だ。

会社も種類も色にも関係無く 箱には   おしゃれな〇〇色 と書いてある。 
書いてあるのが普通なので気にもかけなかったが
その中では高級と思われるお値段のものに、こう書いてあった。
おしゃれな雰囲気の〇〇
?????
おしゃれなような雰囲気ってこと?
結局は本当はおしゃれではない、ということではないのだろうか?

おしゃれとおしゃれな雰囲気なら、おしゃれと言い切られる方が
いいのではないか?
いや、おしゃれというものは断定する位なら鼻につくのと紙一重かもしれない。
雰囲気があるほうが、好ましいのではないか?
いや、この場合は、おしゃれそうでいて、違うという感じがするではないか。
そもそも、全部の色におしゃれの文字がついている。
今更、おしゃれって・・・・・。

どうやら気分的な問題で帰ったのではなくて
振り返ると、結局自分に愛想付いたってことらしいなどうも。                                                                                                                                                                                

2011年4月20日水曜日

自分のスイッチ

                                                     人はよくスイッチが入るなどの表現をする。
勿論遊びモードのスイッチの場合もあるが
上手に自分を切り替える時に仕事モードのスイッチで使うことが多いと思う。

昨夜も仕事の話をしていて、このスイッチの話になった。

そろそろ職場のエリアに入るという横断歩道の前でスイッチが1つ入り、
職場の入り口でもう1つ入る。
タイムカードで最後の1つが入るという従妹と話をしていた。
3つもスイッチがあるということで無条件に尊敬すらしたものの
たった今考えると、3つ入れて初めて仕事に臨めるというのは考えものだ。

3つで尊敬したのには訳がある。
言われて考えてみると、私のスイッチがどこにも見当たらず、
入れたり切ったりした感触がないからだ。
では、入れ時はどこにあるのだ?
家を出る時か?
車が到着した時か?
ドアを入る時か?
これと言って、そういえばあそこでなんてのが  ない。

こんなことで私のは紛失したのか、そもそも存在していないかだったので
3つもは尊敬するになってしまったのだ。

スイッチがないと言った時に
いつもスイッチが入ったままだから、そう思うんじゃないの?
なんて、フォローのかたまりみたいになってくれたけど
それに乗っかって許される私だとも思えなかった。


昨夜の話はこんな感じで終わったのだけど
今朝、限りなく正解に近付いた。

朝、目覚ましが鳴る。
5分のスヌーズモード。
起きないと ・ もう少し ・ もう起きないと ・ いやもう少し ・・・
この時点で目覚ましのスイッチ同様
私のスイッチもONとOFFが繰り返されているのだと思う。

朝、起きるということ、これが私の唯一、最強のスイッチON だ。

仕事のスイッチ、やる気のスイッチはどうなんだと言われると
ONもOFFもスイッチさえも無縁のところで仕事としている。
もしスイッチがあったとしてら、それは私の手にあるのではなく
犬の手にあるのかもしれない。
なんて言ったらカッコ付け過ぎみたいだけど本当だ。
確かにいつもONではあるけれど、それは怠りなく注意している状態でいるだけで
スイッチONで楽しみ、OFFで癒されている状態だと言えると思う。

そして、夜。
眠る・・・OFF。
(犬が起こす)ONやめてよっ!
(犬が寝る)・・・・・
OFFONもうやめてって!

朝起きるというスイッチも私が自分でONにしているのかも大いに疑問になった。

そして、答えが出た。
   
       私はスイッチを持たない! 持てない!! 持たされない!!!                                                                                                                                  

2011年4月19日火曜日

私は船長。

                                                      お店の近所の男の子に私は船長と呼ばれている。

私の人生で船長と呼ばれることなんて絶対に無かったはずだ。
船長ごっこだってしたことはない。
だからと言って、「 実はおばちゃん、船長さんなんよ。だから、そう呼んでね。 」
なんて頼み込んだりしていないけれど
船上で舵を取る船長姿の自分を想像してしまうアホな私は
船長と呼ばれるのがとても楽しい。

でも、残念なことに、それも長くてあと2ヶ月位のことだと思う。
                                                      成長は早いものだ。

幼児特有の舌足らずや苦手な発音が無くなれば、
私はもう二度とせんちょうとは呼ばれず、
当たり前に普通にてんちょう(店長)と呼ばれるようになるだろう。


せんちょうと呼ばれる楽しさは、
舌足らずのボクの可愛いプレゼントだと思っている。


                                                              

2011年4月18日月曜日

整体

                                                     お客様に整体の先生を紹介して頂き、一昨日行って来た。

地球温暖化が原因なのか日本の経済か政治そのものが原因なのか
影響をもろに受け体重が増加した私は、
最近重力さえ感じるようになっていたので、
整体により数年ぶりに身体を軽く感じることができた。
ちょっとした勘違いをしそうだ。

診察待ちのおばさんの患者さんに、
一緒に行った私の従妹は 『 元気そう 』 と言われ複雑な心境でいたようだが、
私に至っては 『 体力ありそう 』 と言われた。
女としてはどうだろう。
複雑過ぎる心境だった。

一晩経って、良いのだか悪いのだか、
はたまた全く無関係かもしれないが、やたらお腹が空く。
お昼にコンビニに行ったら、
自分だけの分の買い物なのに 「 お箸何膳ですか 」 と聞かれた。
勿論私一人の分なんだけど、
言われて初めて量の多さに気付き、うろたえた。
内心うろたえながらも 「 二膳下さい。」 ときっぱり言った。

何故、嘘もつかず、環境問題も考慮しつつ
「 要りません 」と言えなかったのだろう。

反省すべき点が私には多過ぎる。 


                                                                                                                              

2011年4月16日土曜日

自意識過剰? そう過剰。

                                                     省エネの為か止まっているエスカレーターに、
いざ乗ろう ( 乗るっていうのか? ) として、
上りと下りを間違って、センサーに引っかかった。
普段より動き出すのが速くない?と思うスピードで
エスカレーターはゴォーッという音と共に動き出す。
センサーはかなり手前にあるので
片足を乗せようとまでは全然いってない。
私だって見たらわかる。
だから、あっ違ったと素早く足はもう一方に向かっているのに、
それでも取り逃がすまいとしているように
大きな警告音が一定の間隔で鳴り響き出す。
『 ビィーッ ビィーッ ビィーッ・・・・・・・ 』
正しい方のエレベーターで私はもう半分は行ってるというのに、
『 この人ですよーっ  間違って動かしたんですよーっ  』 みたいに。
それを裏付けるように
間違った方のエスカレーターもしつこく動いている。
省エネのエスカレーターをこうまで動かした罪悪感と
恥ずかしと恨めしさでいっぱいになった。

それから中華料理店に入った。
お客の年齢層が高いからか普段でも静かな店内は
時間が遅いこともあって一層静かだった。
警告音の残響も消え、落ち着きも戻るこの静けさは有り難かった。
注文に食べたくなった春巻を加えた。
で、食べた。
子供がプレゼントの包装紙を思い切りバリバリッと破るように、
口の中でバリバリバリッと大きな音がした。
世界中の食べ物の中で一番大きな音がした。 多分。
『 私、春巻食べてますぅーっ! 』 って店中に知らせてるようなものだ。
早く食べきろうと早く噛んでも
音を立てないようにしたくてゆっくり噛んでも
その気持ちを見透かされる位、きっちり音が教えている。
バリバリッて音よりも、かえって噛み方を変えている私が恥ずかしい。
もうこうなったらと噛む回数を減らして飲み込んだら
春巻なんかを喉に引っかけてしまった。
何回もお水を飲んでみたところで
なかなかクタッとはならないバリッバリの春巻は喉に痛かった。

あ~あ。
私が自意識過剰でさえ無かったら
こんな出来事は小石につまずいた程度のことだ。
でも私が自意識過剰だからこそ、こんな文章にまでなって
このブログはあるのだけれど。


                                                                 

2011年4月15日金曜日

ほらね。

                                                      私よりかなり早くに就寝になる犬は
私が熟睡モードに入ってから再び僅かながらも活動が始まる。
と言っても、人目を忍んでハタを織るわけはなく
一家の食を担って狩りをするわけもない。
本人としては、何か思うところもあるのだろうけど、
大した理由ではないのだと思う。

活動の最終段階に入ると、決まってお水を飲む。
必ず飲むと決まっている。
お水を省略することは絶対にできない。
飲み方も普段とはあきらかに変えている。
普段なら食器の縁に鼻をひっかけて静かに飲むのだが
夜中に飲む時は食器に鼻を突っ込んでバシャバシャと飲む。
飲むというより、要するにお水を極力滴らせたいのだと思う。
そうすればいよいよ最後の仕上げとなる。
ここのところで、今度は私無くしてフィナーレは無い。
私が大切な要素となっている。

普段はいたってテンション低めでいるくせに
この時の為に温存しているのだ。
口元の毛にお水を吸収し終えた犬は、
テンションギアをトップに入れる。

お水を滴らせ、水しぶきまで浴びせる勢いで顔を急接近させ、
私が大騒ぎして飛び起きたら、これで全てが終了する。

犬は線香花火が最後にポタッと落ちたみたいに静かになって
鼻息1つ残し、寝ることにする。

ほらね。
大した意味はない。


                                                               

2011年4月12日火曜日

なんで?

                                                      朝、目が覚めました。
朝の支度やら何やら小一時間ほど後、
朝のうちに電話をしないといけない用事を思い出し
電話しました。

思い返せば、うちの犬も猫も就寝中であったため
話かけたりすることもなく
歌うこともなく
声出しの独り言すらせず
実に静かに
黙々と
ただ黙々と動いていたのがいけなかったのです。

そもそも 「 もしもし 」 から、
もういけなかったのです。
痛くもなんともなかった私のノドに何があったのでしょう。

刑事ドラマなんかで
場末のバーのママが、朝早くに聞き込みされた時に
これ以上の面倒はないという風に
「 何時よぉもう そんな人知らないわよぉ 」 と
お酒とたばこに焼けた声で言う
まさに、その声になっていたのです。

またです。
またしても寝る時は普通の聞き慣れた私の声が
お酒にもたばこにも縁遠い私の声が
カーラーしたままぁの、首筋掻きながらぁの
ママ役ぴったりの声になっていたのです。

2度目ともなると大して慌てもせず
今回はすぐに元に戻ったので
結局は、誰かを驚かすこともないまま
一人小芝居向きで終わりました。

犬も猫も声一つ無く、寝返りすらなく、
ずっとかたくなに眠ったままだったのは
ひょっとしたら聞いてはいけないものを聞いたとか
見なかったことにしようとか
見猿聞か猿言わ猿 だったのか
ひたすら爆睡状態にならざる負えない夜だったのかは
もうすでに考えない私には
ゆとりともいうべき遊び心すらでてきていたのです。

                                                                                                                                             

2011年4月11日月曜日

                                                     桜の季節になると阪神の震災を思い出します。
地震の後、神戸を目指していた私達の横を何十台というパトカーが
1列に途絶えること無く、同じく神戸方面を目指して行きました。
パトカーのナンバープレートは兵庫や大阪のものではなく
あらゆる全国からのものでした。
本当に全都道府県が並んでいたと言っても言い過ぎではないくらいで
遠路からのものが、ただずっとずっと静かに並んで走って行きました。
映像だけではなく自分の目で直接見ていたにもかかわらず
その光景は大変なことが起きてしまったという気持ちを
より一層強くし、胸が痛いほどでした。
そこにラジオから流れてきたのがユーミンの 「 春よ、来い 」 でした。
私は涙が溢れていました。

この曲を聴くと、あの日の光景が甦ります。
曲を聴きながら、桜が心に浮かんでいたことを記憶していて、
あの日から、桜を見てもあの時に戻ります。

あれから毎年、同じ思いで桜を見ながらも
ほんの少しずつ微妙に明るさが加わってきた気持ちに
今年はまた、震災に遭われた方々を想うことで
桜は私の中でまた変化しそうです。

桜がこんなに綺麗で悲しいものだと感じながら
こんなにつくずく眺めたのは、今年が初めてかもしれません。


                                                                                                                                

2011年4月10日日曜日

星守る犬



                                                                                                               1年半ほど前にこの本を知って、本屋さんで
 取り寄せて貰いました。
 何とも心に残るストーリーです。
 これが映画になるそうで、今年の6月に
 公開されます。
 お父さん役は西田敏行さんだそうで、
 内容は知っているけど、
 泣くことは避けられそうにないし
 観たいし、泣くしで、
 今からどうしようか悩んでいます。
  
 あとがきに 
   傍らに犬。
   二人は絶対に幸せだったと思います。
                              とあります。


 傍らには犬・・・まさに 店名の Dog  beside...  です。
    beside dog  にしなかったのは、犬を主語にしたかったのと
    beside の後の ・・・ を自由に想像して貰うことで
    犬自身がそれぞれに安らげる好きな場所に
    そして自由にいて欲しいという思いでつけました。
                   
       
    わたしの場合は、犬の傍らにはやっぱりわたしなんですけど。
    ( すでに自由なんて夢のまた夢だと犬は嘆きますね )
          
                                                         

2011年4月9日土曜日

右側で目覚めたときは・・・

                                                 

目覚めたときの自分に、悲しくなる時があった。

もうお布団だって枕だって私一人だけのもので

ど真ん中で大の字にだって眠れるのだし、

一晩中、ごろごろ寝返りうったとしても平気だ。

そんな風に、好きな時に好きなように好きな恰好で眠ることができるのだ。

なのに、お布団の左側と枕の左側を使わずに

右側の半分で眠っている。

右側だけのお布団の上で

右側だけの枕の上で。

右側だけの上で平仮名の し みたいに足をよけている時だってある。

目覚めた時の自分の恰好で

涙が出る時があった。

Moon はいないのだ。


「 Moon ちゃんはいないのに・・・ 」 と言ったら、
 
「 雨降ってる 」 とか 「 お腹空いた 」 とか言うみたいに

「 朝までいたんやろ 」 って言われた。


      「 これからもずっと一緒 大丈夫 」 って言ったのはわたし。



                       右側で眠っているわたし
             
             左側の Moon

                                                                                                                                                                                                      

2011年4月7日木曜日

また、 起きたら・・・

                                                      ぎっくり腰になってしまった。
もう既に4、5回目になる。
この1週間、危ういところすれすれでピンチを脱してきていたのに、
朝、起きれなくなっていた。
起きようとするまでは眠っていたのだから
いつ、どの時点でここまでになったものだかわからない。
もうごまかしの効かない限界というところまでになっていたのだろう。
この痛みより睡眠が勝っていたとは思いたくはない。

思いたくはないけれどだ。
痛みで起きて当然ではないか。
なのに目覚ましで起きたのだ。
思い返せば、以前にも書いたけれど
起きたらこうなっていたということが私には多すぎる。


一体どういうことか理由が知りたい。




いや、ここは敢えて知らないでおこう。

                                                             

2011年4月6日水曜日

子供の教育とは?

                                                     カバチというお友達のいる男の子。
先日お家の前で出会った。
私がカバチのことを興味津々聞くのが嬉しいらしく
「 また、お話してあげないといけないね 」 と言っていたらしい。
それを聞いたものだから
「 また、カバチのお話をきかせてね バイバイ 」 と言ってお店に向かおうとした。

その時、男の子は手をピストルの形にしてもう一方の手で支え
確かに手の先は私に向けられていたように思う。

既に何歩か遠ざかっていた私は
背後でお家の人の大きな声を聞いた。

「 撃ったらあかんっ!! 」

多分、私は撃たれたのだろうと思う。
お決まりのリアクションをするか迷ったけれど
するには少し離れすぎていて
そこだけ人に見られてしまい、ちょっとした近所の有名人になる
可能性があるので止めておいた。

「 撃ったらあかん 」 と守られたことがおかしくて、
数日は思い出す度に笑いがこみあげてきた。


だけど、よく考えると
それも教育なのかもしれない。

だとすると、撃たれたリアクションはしなくて正解だったのだろう。

そして、だとすると、

「 もうカバチの話なんか聞いてあげへんからっ! 」 って半分泣きながら
怒るべきだったのだろう。


                                                             

2011年4月5日火曜日

温かなニュース

                                                     以前にご紹介させて頂いた仙台の dogwood さんですが
昨日の時点で124頭の犬と20頭の猫を保護されたようです。
家人のいなくなった倒壊したお家から、離れたがらない犬も
食事を与えながら、無理に連れて行くことなく翌日にまた行かれるとのことで、
丁寧に、そして確実に救援されています。
集まったみんなが一安心している様子で、綺麗で健康的です。
良い環境にしようと大変な努力をされているのだろうと思います。
頭が下がります。
本当に有難うございます。

漂流していたコもお家の人と再会でき
本当に良かったです。
( 神様はそれくらいのことをするのは当たり前です。 )

津波にさらわれた牛たちもみんなでは無かったけれど、
自力で戻ったというニュースもあって、今日は心が少し温かくなりました。

勿論、まだまだこれからだし、
震災だけではなく、放射能という目に見えない脅威の中で避難されている方々や、
そしてお家に残された動物たちや彷徨っているコたちがいること。
いろいろな規制の中のままならない状況でお気持ちは如何ばかりかと、
そして私は・・・と考えずにはおれません。


でもほんの少しにせよ、動物たちのニュースが流れることで
そこから生まれる人の感情が
今後の動物たちの生活に、ほんの少しでも良い方向に影響するだろうし、
必ずそうあって欲しいと心から願います。

犬や猫や動物が人間の生きる支えになるってことを
今更恥ずかしい言葉ですが、まぎれもなく 家族 だってことを
理解できない人も、理解はしなくても、認めて欲しいと思うのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

2011年4月3日日曜日

神様は・・・

                                                      うちの犬もそうだったけれど、お客さまのわんちゃんでも
悪性の〇〇とか悪性がつく病に侵されることが多すぎる。
それも、まれだとか、あまりないケースだったりとかするけれど
じゃあ何で、ひどすぎるんじゃないかと思う。
いい加減にしろと思う。
大体、動物にこんな辛い病気があること自体が許せない。
何の意味があって、こんな病気があるのだろう。
なんの罪もない者に、あまりにひどすぎる。
元々寿命自体が短いのに、その上こんな病気まで必要のないことだ。
食の問題として取り沙汰されることが多いのは確かで
突き詰めるとそういう問題もあるのかもしれないが
そんなこと動物には関係ない。
人間の範疇でのことにしてほしい。


大好きなわんちゃんの訃報が届く度に、悲しさと同時に
私はどこにぶつけたらいいのかわからない
この理不尽に対し怒りが湧いてくる。
どこにかわからないので神様にだって罵っている。
本当に辛い思いをさせないでやって欲しい。
もういい加減、止めて欲しい。


そして1つ、
津波のせいで、ずっと漂流していた犬が救助されましたね。
長い間、本当によく頑張りました。
これまでの恐怖を思うと、このコがこの先の人生で
天寿を全うするまで穏やかに過ごせることを
家族の元に帰れることを願うばかりです。

神様はそれくらいのことをして当然じゃないですか?



                                                                  

2011年3月31日木曜日

正体は?

                     
幼稚園児の頃、魔法使いになろうとしていた。
おまじないの言葉がわからないから、魔法がきかないと思っていた。
テーブルのカップの横から恥ずかしそうに覗いている妖精が
見えないことを逆に気のせいにした。
空も飛べるはずだった。
きれいな心になれば叶うと思っていた。
初詣では、きれな心になれますように・・・とお願いしていた。
小学生になってもお願いしていた。
思えば、なんの疑問もないまま突然そんなお願いをしなくなって、
だからでもないだろうけど、こんな大人になり、
こんなままだとは思ってもみなかった。

だから、聞いた時には久しぶりに心が浮き立った。
近所の男の子のお話に。
男の子が話すお友達のお話に。

なんでもお家の人のお話では、頻繁にそのお友達の話をするらしい。
家にいることもあったり、先に保育園に出かけて行ったり・・・。
泊まっているのかと思えばそうでもないらしく、
とにかくその男の子以外は見ることができず、話すこともできないらしい。
お友達の名前は カバチ 。
カバチはいろいろなことを教えてくれるのだそうだ。

私はカバチに俄然興味がわいた。
これぞ、子供の時にしか見えない妖精に違いない。

カバチのことをいろいろ聞いてみても良いというお許しを得て
私は男の子の話から妖精を垣間見ようとした。
この歳になったら、実際もう見えなくても良いのだ。
こういう話だけで十分にあの頃が懐かしいではないか。

そして、返答はこうだった。
さっきまでお家にいたらしい。
でも今日はもうカバチはカバチの家に帰ったらしい。
そしてカバチにはおばあちゃんもいるらしい。
心のどこかにあった霊的なものだったらどうしようという怖さは
祖母と孫という雰囲気だけで解消した。
それにカバチは優しいらしい。

この辺で、そろそろカバチ像をはっきりさせることにした。

「 カバチってどれくらいの大きさ? 」
「 これくらい 」 と 指し示した指の間は5センチくらい。

すごい、まさに理想的な妖精サイズ。

「 で、カバチって女の子っぽいの男の子っぽいの? 」
「 おとこ 」

そうか、おとこなのか。
まぁ、おとこでも全然いるよね・・・。

「 おとこ・・・そっかぁ・・・ 。」
「・・・・・・それで、いくつくらいの歳かわかるかな? 」
「 んーっ????? 」

僅かに頭を傾げた後、


「 42歳!!! 」 と、きっぱり言った。


妖精のイメージには程遠いわ カバチぃ・・・頼むわぁ。


                                                                

2011年3月28日月曜日

題名は 豆ごはん

                                                                  
先日のこと、某店のハタハタとはためいていた豆ごはんの文字に誘われ、
そこで食事をすることにした。
私的には、どうかしたら豆ごはんだけでもいいくらいの意気込みであったものの
夜も遅いというだけでは無さそうなくらいに駐車場に入った途端に
なんともわびしい気持ちになった。
それは、お店の中のお客さんが醸し出したのかというくらいに
何故か1人だけで食事している中年齢よりやや上の男性が多く、
本当にわびしそうに見えた。

2人で入ったというだけで安堵しながら、
嬉しくて元気に豆ごはんを食べていた。

その時、私の斜め後ろあたりから、大きなしゃっくりが聞こえてきた。
しゃっくりが3度目あたりで、私は昔少女であったことの名残のように笑えてきた。
しかし、それもつかの間のこと。
しゃっくりは執拗で、元から充分に大きかったのに、
段々とそれはもうお店中に聞こえる位で、
どうかしたらトイレの中でも聞こえるに違いないレベルになっていた。
全く止める努力はされていないらしい。

丁度それとかぶるように、後ろのテーブルからも声が聞こえていて
それもまた、放っておけないレベルの話ぶりだった。
その場には珍しい女性の2人連れは、どうやら母と娘らしい。
娘 「 だから言ってるやん。明日、姉ちゃんに病院に電話して貰って薬がナンタラカンタラ 」
母 「 ・・・・・・・ (声が小さくて聞こえない) 」
娘 「 だから言ってるやん。明日姉ちゃんに(後は同じ) 」
母 「 ・・・(聞こえない) 」
娘 「 もういい加減にしてよ。何回言わせるの!だから明日姉ちゃんにぃ・・・ 」
母 「   」
これがずっと繰り返されていたのだ。

その辺りで、私は自分がお箸と豆ごはんのお茶碗を手に
その場で両足を大きく開いて立ち上がる世界に入っていた。
大阪弁満載のその世界で私は男らしく言っていた。

振り向かずに言う
「 ちょっとぉ。 何回も何回もって親に向かって大きな声出してるけど、
 何も姉ちゃんに電話して貰わんでも、あんたが直接病院に電話したらいいんちゃうの?!! 」

先ずは下向きの顔から次いで半身斜め後ろにしてお箸を持つ手を伸ばして言う
「 それに、そこのおっちゃんもやっ!
 いい加減、しゃっくり止めようって気にはなれへんか? 」


現実には、しゃっくりは大きなまま続いていて、
娘の方の怒りも沸点に到達してしまった。

とうとう娘は最大級に怒鳴った「 いい加減にしいやーっ !!!!! 」 

そして、しゃっくりが止まった。


私は結局その喧噪の中、豆ごはんを食べていた。


日常の1コマみたいでそうではない
ちょっと笑えるのに悲しい映画の1場面みたいだと私は思った。


                                                                      

2011年3月26日土曜日

仕事仲間からの連絡

                                                                
仕事仲間から連絡がありました。
それは、宮城県仙台市青葉区にある dogwood  さんとおっしゃるショップさんのことです。
山の中にあるということで、今度の震災では難を逃れられたご様子です。
そして、救援活動をされています。

沢山のボランティア団体があり、いろいろな活動をされていて、
その中で団体そのものの情報が様々に流れています。
私自身はどこの団体にも所属していません。
だから内情も詐欺や何だと流れるニュースの真偽のほどもわかりません。

仲間が教えてくれたこのdogwood さんは、日々確実に増えていく中、
今日で93頭を保護されています。
保護されたコたちの写真も多く載せられていますし、活動もよくわかります。
ほとんどは一緒にはいられない家族から託されていらっしゃるようですが
活動や報告と一緒に、そのコたちの写真も見ることができます。
いろいろな思いの中で、それでもまず活動されたことなど
他人事ではないと感じました。


全ての団体やボランティアの保護情報を一括する情報本部ができ、
保護されているコの中でお家のわかっているコ、わからないコ、行方不明で探されているコ、
全てのコ達の情報が1ヶ所でわかるようになって欲しいです。
再び家族に会い、いつの日か家族の元に帰れるコが少しでも多くあることを
みんなが心から願っているのですから。



                                                               

2011年3月23日水曜日

思うこと

                                                      パソコンをはじめ、完全に時代について行っていない私の情報など
皆さんはとっくにご存知だと思いますが、犬や猫たちと同伴で避難できる所が
わずかですができていますね。

福島  いわきグリーンスタジアム

新潟  中央区  新潟市体育館
     西区   西総合スポーツセンター
     北区   豊栄総合体育館
     江南区  亀田総合体育館
     長岡市  長岡市役所寺泊支所

そして群馬では、みなかみ町観光協会が1000名の同伴受け入れとのことです。


阪神の震災の時にフードなどを配りながら、直に経験し胸が痛んだことは
家族と離れ離れになったコたちは勿論のことですが
避難所に一緒にいながらも、ご苦労されていた方がいらっしゃったことです。
今度もまた、それもとても心配だったのです。
こんな風にわずかであっても、受け入れ可能ときちんと公表されることが
大切だと思いますし、
必要性を把握されれば、そこからまた少し流れができてくるのではないかと
思っています。
大阪も仮設住宅の用意を始めているというだけではなく、
当たり前のこととして一緒に暮らす住まいも用意して、
同居できることをきちんと伝えて欲しいと思うのです。
はるばる大阪の地までと考えた時に、必要なことの1つだと思っていました。
そして、その時にもできることは沢山あると思います。

自宅をホームステイ先に登録しておいて下さいと府に対して連絡されている方も
ありました。
みなさん 「 自分にできること 」 を考え、行動されていますね。



ポチたまの、松本さんのサイト ( ナチュラルドッグスタイル ) で
「 災害時の愛玩動物同伴可能の避難所の確保と増加及び、
  愛玩動物入居可能の仮設住宅の確保と増加と建設を求める署名 」
というのをされています。

全国規模で実現できるようにしないといけません。
私も署名の用紙を店頭に用意しました。




                                                               

2011年3月16日水曜日

言葉がありませんでした。

                                                                           
この度の地震災害に遭われた多くの方々、又ご関係の皆様に
心よりお見舞い申し上げます。


地震の日、家に帰ってから映像でどれだけのことが起こってしまったのかを
知りました。
それから毎日祈るしかない自分に歯痒い気持ちです。
言葉が見つからずブログもお休みしました。

私は犬のお仕事をさせて頂いています。
少しでも何か出来そうなことを考えると、やっぱり犬のことになります。

そして、ニュースで犬を見ました。



阪神淡路大震災の時には翌日には行動していたのに、今何も出来ずにいます。
一緒に被災地をまわった仲間から電話がありました。
彼女もまた、何も出来ずにいる自分に苦しんでいました。

現状調査は始まってはいるそうです。
ただ、電気やガソリン、被災状況、連絡手段、とにかく厳しい状態であることは
ニュースで知るそのままです。
その中、昨日フードがトラックで運ばれたという話です。

震災に遭われながらも動いてくださっている方には頭が下がります。
そして、とても感謝致します。

テレビの前で涙した、みんなの思いがあのコたちに
どうかどうか届きますよう。
おびえた目に1日も早く安らぎが訪れますよう。
この思いで、今できることをします。

お客様からも、動物に使って貰う為の義援金はどこへ送れば良いかと聞かれます。
いろいろな所があると思いますが、1つご紹介しておきます。


緊急災害時動物救援本部 ( web で検索して頂くと詳細がわかります。)
   みずほ信託銀行 渋谷支店 普通4335112



                                                                                                                                                                                            

2011年3月8日火曜日

うわっ!!!

                                                      やってしまった。
全部書き終え、公開直前で
どこをどう押したらそうなるかも知らないレベルのくせに
知ったかぶりのように指が勝手に動いて、見事に全部を消してしまった。
もう一度やりなさいと言われても、同じようにはできないくせに
余計な動きをしてくれたもんだ、まったく。

多分、面白くない内容だったのだろう。
もう一度、頑張って文字を追うことをするつもりにならないってことが
全てを物語っている。

その通りだ。

まったく。

出直すなんてハードル上げてどうするって感じだし・・・

フゥー・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


「 どうしたの? あれっ、うちの犬が・・・。
 なに? ごはん? お水? おしっこ? 散歩行くの?
 いま、忙しいのよ。
 ブログ、途中なのよ。
 もうっ。仕方ないコねホントに。
 じゃあ、さようならって言いなさい。
 すみません、ホントにっ。 
 あ~ 引っ張らないの~~~。 」    
  
                                                                                                                                 

2011年3月5日土曜日

カラスの巣

                                                     高速道路の横っちょの部分にカラスが巣を作っているのを発見してから
1週間が経つ。
せっせと励んでいた巣作りも少し前に完成し、いよいよご出産ではないかと思う。
巣は一つのオブジェのようだ。
よく使われるハンガーみたいなものが確かに数多く使われている。
ただそれにしても見事に白で統一されているなぁと思っていたが
よくよく見るとガーデニングに使う花壇のフェンスなのだ。
一つのお庭から失敬してきているなら、
今頃はさぞ殺風景になってしまっているだろうと
お気の毒にと思いながらも、カラスの創造物に感心している。
創造物はともかく、努力というか熱心さにもだ。
とにかく、私には脱落している要素だと思う。
カラスでなくて良かった。

その巣は丁度、お店の窓から見える位置にある。
ほぼ完成まで気付かなかったものの、気付いてしまったら気にもなる。
雨は大丈夫か、風は大丈夫か、
高速の工事なんかが始まらないか・・・。

そして何より、ここらへんは風が舞っているように吹くものだから
こどもが飛ぶ練習を始め時が大変だ。
上手く飛べなくて、落ちてでもしたら下は車だらけなのだ。
危険がいっぱい。
その時、ハラハラするに違いない私はもう既にハラハラしていて
ハラハラしながら、今日も巣をあたたかく見守っている。
マザーテレサのように・・・という感じで。



「 あそこ、あの窓のあの人間。あっ今出て来てこっちを見ている人間だよ。
 雨も風も車も巣立ちの時も全部大丈夫だってことでここに決めたのにさぁ、
 あんな怪しげな人間いるかぁ? しかも毎日だぞ。まいったね、まったく。 
 ここまで上って来たら、どうするよ? ったく・・・。 」

                                                             

2011年3月4日金曜日

猫の名前は

                                                     話題に上るのは犬になりがちだけれど、我が家には代々猫もいる。
今いる猫は、又三郎という名だ。
その前がジョバンニ。
宮沢賢治シリーズだ。

ジョバンニのいる頃、友人のお家に家族として迎え入れられる子猫を
しっかりするまでと預かっていたことがある。
乳母家族の特権で名前をつけさせて貰った。
カムパネルラ 当然のことのように決まった。
今思うと、さぞかし呼びにくく、迷惑な話だったと思う。

又三郎は殆どの場合、又さんと縮めて呼ぶことが多い。
どこか職人気質の親父さんみたいな感じだ。
結構それも気に入っているのか、いつも上機嫌な返事をする。

又三郎ぐらいで、又さんと縮めて呼んでいる私は
又さんと呼ぶ度に、カムパネルラ・・・と心で言ってみずにはおれないでいる。


                                                             

2011年3月3日木曜日

愛情のサンドイッチ




   大事に抱え込まれているのは、お店の上の階のお姉さんにディズニーランドの
   お土産にと、あごのせにどうぞと頂いたぬいぐるみ。
   あごをのせたり、抱え込んだり、枕にしたりと大切に使っている。
   
   服は私が手縫いで仕上げたものをプレゼントした。

   こうして今日の犬は、ぶり返した寒さに負けない温かい愛情に下からも上からも
   包まれて何だかおかしな顔つきで1日の仕事を終えようとしてい・・・
   完全に終えたようだ。
 
   私は今日のこのブログのタイトルが、愛情のサンドイッチかサンドウィッチかで
   悩み、サンドウィッチは何だか気取っているようで恥ずかしいと思った。
   
   こんなウィッチごときを恥ずかしいと思いながら、服を着ている犬に目が行き
   恥ずかしいとも言わず、いやがりもせず、手縫いの服を着ている犬を
   健気で愛しいと思った。
  
   そして多分、横にいることだけで健気で愛しいと思ったんだろうと思う。

   こんななんでもないことが、犬がいることの幸せだと思う。  

   犬がいる幸せなんだと思う。