2011年5月30日月曜日

新たな展開

                                                      うちの犬の毎夜の恒例行事のことですが
「 まだしてる? 」 とご質問を頂きます。
ご心配おかけしております。
私の質問以来、プツッとやる気を無くしたようで
お陰様で落ち着いております。

いえ、落ち着いておりました。
が、ここ3日ほど新たな行動に出ておりまして、
私としましては、この際また少しの我慢かと諦めております。

今までは、私が椅子に座っている時は
殆どの場合、足元に寝そべっているか
さっさと私からは見えない自分の場所でごろりとなっているかでした。

ところが、何を思ってか何をどうしたいんだか、
とりあえずは隣の部屋に行き、
きれいにきちんとお座りをした状態で( どうもこの姿勢だけは常に決まっているようです。 )
テーブル越しに私を見つめることにしたようなのです。
見つめると言えば聞こえはいいですが
監視だか観察だかわかりません。
わざわざ離れての、テーブル越しはそれだけで結構大変で
背筋も首もかなり伸ばさなくては見えません。
5分以上もよく続くもんです。
大変な様子は目に現れていて、
その目でただただ見つめております。

視線が気になって仕方ないのは
それがほぼ正面からのことだからで
視界に常に入ってくるのです。
まっ、気持ち悪いからという理由もあります。

100歩譲って考えてみると、
確かに足元や、すぐそばよりは
私と目が合うことは多いのですが
そんなことが満足なのでしょうか?
(なわけないわ)

それにしても、いつも思うのですが
止める時のあの変わり身の早さったらありません。

大事な用事を思い出した時の
「 あっ!そうだ! 」 ってな感じではありません。 

大抵の場合、ドサッと倒れたりするので
散々、人のこと凝視しておいて 「 あほらし、寝よ 」 って言ってる
としか思えないし、
そうとしか思えないのは、
結局はやっぱりそう言ってるからで、

その証拠に、100%寝てますから・・・。
                                                                                                                             

2011年5月29日日曜日

ミッキーのこと。

                                                      動物病院にいた頃にミッキーに出会いました。
ミッキーは、今ではあまり見かけなくなった
スタンダードのダックスの男のコでした。
9ヶ月くらいになっていました。
耳の先っぽが、もう一方より短くなっていました。
ミッキーが、自分で噛んで無くしたのです。
ストレスによるものだったようです。
その時点で元いたペットショップに戻り、
そして病院に来たのです。

ミッキーは幼い仔犬の時ではなく、
ちょっとしっかりし気味の仔犬の時にペットショップから
一般家庭に販売されたそうです。
数か月後にミッキーはショップの方に返されてきました。
ワンワンうるさいが返された理由です。
うるさくなったのには理由があるはずですが
本当にワンワンよくいうコになってしまって戻って来たらしいのです。
そこを別のお家の人が気に入り、
うるさいくらいが番犬にはいいと貰われていったそうです。
ところが、ところがミッキーはまたも帰って来たというのです。
今度は一切吠えることがなく、静かすぎるというのです。
そして耳が短くなっていました。

ミッキーは後に、私の義姉の家のコになり、
うるさくも静か過ぎることもない
ごく普通のコのまま、おじいちゃんになりました。

辛い時期があったことはミッキーにとって不幸なことなのですが
ミッキーはそんなことを微塵も感じさせない
毎日がとても陽気なハッピー気分のコで
耳が短いのも、
食いしん坊だからって、笑ってるようにしか見えませんでした。


問題は概ね、人間の方にあるものです。
やっぱりね・・・。
                                                                  

2011年5月28日土曜日

雨の日のトイレ

                                                      うちの犬には嫌いなものというか嫌いなことが多い。

中でも雨は苦手。
と言っても、本当は雨そのものではない。

ちょっと複雑というか、回り回って結局雨でなければいいのに・・・
といったところだ。

普段から、車に乗ることが普通だ。
そして雨の日も勿論、もれなく乗ることになる。
車が動く。
ほどなく停まる。
その瞬間に犬はイヤな気分になるらしい。
今でこそイヤな気分くらいで済むようになったが
最初の頃なんか、ほとんどパニック状態で車内をオタオタしていた。
停まることそのものがイヤでは無いのはわかっていたのだが
原因究明までには少し時間がかかった。
私の車だけかもしれないが
雨の日にはブレーキを踏む最初の時に
どこかで小さく小さくキュウッと音がするのだ。
こんなことが、ほんとこれしきのことがパニックの原因だ。
人間の耳には聞こえにくい程度のきしみの音の周波数は
犬笛に限りなく近いとしか思えなく
しかもガラスをキーッと引っ掻く音に近いのか
今から痛いことをされるその瞬間の悲鳴に近いのか
そこまではわからないものの
かなりいい線いってる表現であるはずだ。

このおかげで、説明の難しい、把握も難しいに違いない車の調整を
度々お願いすることになった。

音が犬の耳にも聞こえにくい程度にまでなったのだけれど
雨の加減で音の大きさやイヤな感じに聞こえるのが
違うらしい。
だけど雨が降るとイヤな気分という図式が出来上がり
雨の中で濡れるのはさほどイヤではないものの
気分はダークブルーな犬なのだ。

特にひどい音のする雨の日は犬は外に出たがらない。
その結果、トイレもかなり我慢している。

いつもなら激しい催促で外に連れて行ってくれ~というのだが
この日ばかりはとっても静かにしている。
行こうと誘っても、聞こえないふりまでする。

そして限界に近付いても
ひたすら我慢しようとしているのだが
その頃には誰の目にも我慢の限界がわかるようになる。

犬は我慢で小刻みに震え出している。
浮上する時の潜水艦みたく頭を上げて
寝てるふりすらできなくなっている。

誘うと、それでもようやくイヤイヤに
行ってもいいけど・・・って感じでついて来る。
                       
こうなればドアを出た所が限界だ。

雨の日、濡れずに掃除できる私にも好都合だけれど・・・。
震えるほどの我慢は如何なものだろうか、キミ?
         
                                                                   

2011年5月25日水曜日

今年もまた・・・

                                                      暑いです。
私は暑いです。

「 今時分から去年もこんなに暑かったっけ? 」
そして
「 今からこんなに暑かったら、夏はどうしたらいいんでしょう 」
それに
「 今からこんなん着てて夏何着るぅ? 」

直後に
「 毎年、言ってるよねぇ 」

本当に毎年毎年この時期になると絶対に確実に交わされているに違いない会話。

きっと昨年もこのように暑かったに違いなく
そして今年もまたその暑さをどうする術もなく
だからといって、これ以上の露出で世間にご迷惑をおかけするでもなく
ただひたすら
ぐだぐだのでろでろのだれんだれんの状態で

「 ダイエットしないと余計に暑い 」
とかなんとか戯言をかなりの頻度で言いながら

結構ハードに暮らしてるのに何で痩せないと自問し
自答は敢えてしない。

あ~ そんな夏がやって来た。

                                                            

2011年5月19日木曜日

老犬の体温調整

                                                     老犬になると体温の調整が上手くできなくなる。
元々が暑がりのコであれば、クーラーを入れるのは
暖房を切ったのと入れ替わりほど早いこともある。

後肢が立てなくなったラブラドルのレオ君がいた頃は
冬でも車に暖房を入れるのは稀で
朝一番に乗る時だけ、冷え込んでいる空気を少し暖めれば
後はずっとそのままでいた。
少しでも入れると暑がったくらいだ。
私と寒がりの例の犬は
いつも毛布にくるまれた状態で乗っていた。
部屋の中でも真冬の夜中から明け方には必要であったけれど
心地良いと思う程の室温ではハァハァいってしまう。

夏ともなるとガンガンギンギンに冷房を効かせた状態を
保っていたので、
私達はやっぱり寒かった。
身体の芯まで冷えることも度々だった。

動物病院に着いた時
冷房が必要な為、エンジンをかけた状態にして
先に診察券を出しに行ったのだが
車を降りた私を呼んでいたらしく
わずか2、3分後には
冷房の効いた車内でレオ君はハァハァいうほどで
濡れタオルで身体を冷やしたりした。
最近の様子などを先にお話しでもしていたら
幼児を車内に閉じ込めてパチンコしていたお母さんみたいなことに
なってしまうところだった。

変わってシーズーの老犬だが
シーズーも暑さは苦手な犬種だ。
お鼻の短いタイプのコは若い時から暑さに注意が必要なので
何も特別ではないのだが
うちのコはお年寄りになってからは保温が必要にと変化した。
なので夏も少し暑いくらいが良く、冬はかなり暖かくしていた。

老犬になると若い時と同じようにはできないし
犬種特有なものだけで暑がり寒がりの判断もできなくなる。

そのコそのコによって違うのは勿論だが
特に気を付けなければいけないのは
同じコでも、その日、その時の体調や少しの動きの変化で違ってくるので、
よく見るということが必要かと思う。

その為にも体調の良い時に呼吸の仕方や心臓の動き、脈の状態を
こまめに確認していれば、日常の状態を把握しておけるようになるので
ちょっとした変化にも気付きやすい。
老犬には特に必要ではないかと思う。
                                                                                                                                                                                                                                                                             

2011年5月18日水曜日

これもまた良し。

                                                      Moonが逝き、離れて暮らすようになって4ヶ月が経った。
もうなのか、まだなのかは自分でもわからない。
こんなに長く離れているのは初めてだけれど
それでも何とかやっている。
そして、多分あのコも何とかやっていると思う。

ただ何とかお互いやっているのも
これも多分だけれど
やっぱり、ちょくちょく私のそばにいるのだろうと思う。
そうでないと、何ともやっていけるわけがないはずだ。

仕事を終えて家に戻った時に
ご近所迷惑を心配するほどの
熱烈な出迎えがないことにはどうにか我慢できるようになった。
二人三脚みたいに足がもつれそうなほど前を後ろを
ひっついてこないのにも慣れて
一人で規則正しく、右、左と足を出している。

こんな風に他のことも1つ1つ何とか1人でやっている。

でも昨夜、突然シーツをガシガシと掻く音を聞いた時、
間髪入れず口をついて出たのは
「 ダメよ Moonちゃん! 」 だった。

耳にした私の言葉に一気に身体から力が抜けた。
それはないわ。
こんな不意打ち、どうしたらいいのよ?
だってそれはMoonがいっつもして、だから私がいっつも叱って・・・。

真犯人は勿論知らん顔していたけれど・・・。

毎日、我慢して自分をあきらめさせたり
誤魔化したり、なんかふりだけしたり
それなりにやってきてるのに
これくらいのことで、
なんかメッキが剥がれたみたいな気持ちだった。

確かに昨日はちょっとねだったけれど

それもまぁいいんじゃないかと思っている。
久々怒ってやったから
多分、ギョッとなっただろうし
いつものように叱ることもしないと
甘やかしてグニュグニュばかりもしてられないから。

だってそうやってずっと暮らしてきたんだから。

これからも変わらないでいい。
これからもずっと変わらずに、
こうしてMoonと暮らしていくんだって思っている。

それにそう、これはMoonと約束したことだから。

                                                                                                                                                                                                                                                   

2011年5月17日火曜日

犬とは分け合う。何故なら仲間だから。

                                                      基本的な姿勢として
私はあれやこれや何でも犬に食べさせることをしない。
まして自分が何かを食べている最中にそれを与えるなど無い。
これが私の考えだ。
理由としてもっともらしいことを並べることもできるのだけれど
単に主義として、店でも家でもそうしている。

でも・・・

それは食事に関してのことだ。

私が食事をする。
だから、犬は犬の食事をする。

お互いに自分の食事をするだけだ。

食後に何かを食べる。
車の中などで何かを食べる。

これは食事ではない。

これは自分の楽しみなだけだ。

その時に私は自分だけでそれを食べてしまうことができない。

分け合うのは道理。
仲間として1つを分け合わないで仲間と言えるのか?
楽しみは分け合うものだ。

犬も当然仲間としての権利を目で主張している。

分け合わないなど後で罪悪感に襲われるほどだ。

なのに、ごめんね。

どうしても公平には分けれないこの私を許して欲しい。
それが犬の為なのか、私の為なのかの答えがどうしても出ないのだ。

だからこの先も、ずっと気付きませんようにと願う私も許して欲しい。
                                                                                                                          

2011年5月16日月曜日

犬は心の支え

                                                     犬の儀式は少しずつ終息に向かってきたようだ。
宇宙人と交信しているのかと聞いた途端止めてしまい、
翌日から私が見ると止めている。
的を得ていたと思うほどだが
そんなバカなことを二度と言わせまいとしているだけかもしれない。

結局はこの犬にしてこの人間ありで、
この人間にしてこの犬でもどっちでもいいのだけれど
結局言いたいのは私たちは似たもの同士だということだ。

今も犬は横で完全に眠っているような恰好で横になりながら
実は大きく目を開いていて
何かを考えているようにしか絶対に見えない。
何か小難しいことを考えているように見せかけているだけだ。
それがわかるのは私だけだと思う。

この犬と私が巡り会えたのは殆ど奇跡みたいなものだ。
1秒早くても遅くても出会うことはできなかった。
神様なのか、先にあちらの世界に行った誰かの仕業なのか
答えが出るわけはないのだけれど、
真剣に考えることも多かった。
本当に不思議な縁だと思う。
不思議な縁の不思議犬だ。

この犬のおかげで私は随分助けられている。
町内会でのごみの分別かごを出す当番の時に
一緒について来てくれる。
いや、こんなことではなくて
精神的な面で大いに支えてくれているということだ。

例えばこうだ。

例えば・・・

・・・・・・・・・・・・・  


出てこない 。
 
                                                                                                                            

2011年5月14日土曜日

うちの犬が変だ・・・。

                                                      うちの犬が変なことをご存知の方は大勢いらっしゃるくらいで
何も今更という感じではあるのですが
一緒に暮らしている私でさえ、
ぎょっとすることがここ最近加わりました。

そろそろ寝ようかなと思いながら犬を見ると
犬は背を向けるようにしてお座りをしています。
頭は完全にうなだれているものの背筋をまっすぐに姿勢良く座っています。
背を向けるくらい何でもないのですが
そこは部屋の角、頭は壁から20センチ位の位置なのです。
まぁ、位置的にも何でもないことにしてもです。
それが10分は続きます。
時間的にも何でもないことにしてもです。
お布団に入る前、普通に寝ていた犬が
私も眠ってから寝返りをした時にたまたま犬を見たら
うす暗い部屋の隅でこんな風に固まっていたらどうですか?
正直怖いです。
最初、見なかったことにしようと私が背を向けたのですが
気になって眠れず、もう一度見てみると
同じ姿勢のままうなだれていました。

勿論具合が悪いわけではないのです。

これがここのところ毎夜恒例の行事となっております。

私には見えないものが見えているのか
就寝前のお祈りなのか
あのうなだれ具合からして
今日一日の反省なのか
何か同情をかいたいのか
彼女にしかわからないことなのですが
1日も早く飽きてくれないかと私は秘かに願っていました。

でもなかなか止める気配もなく
うす暗がりで見続ける勇気もないので
犬がコレを終えてから寝ることにしたのです。

それにしてもです。
こんなことで就寝時間が遅くなるというのはどうなんでしょう。
それで、犬のうなだれた背の後ろで私は
「 うちのこの犬が普通の犬になりますように 」 とお祈りしています。

この私たちの姿をもし別の家族が見たなら
やっぱり見なかったことにするでしょうか?

                                                              

2011年5月8日日曜日

なんで?

                                                      長引く咳と鼻水は風邪ではなく黄砂によるものかもしれないそうだ。
そういえば、前回声が出なくなった時もひどい黄砂の時だった。
とうとう、アレルギーになってしまったのだろうか。

今回の発熱や風邪や黄砂やよくわからないものは
この私に、信じ難いことであるが食欲を奪った。
というか、味覚も嗅覚も全く機能していない。
なので、余計に食欲はなく
現にろくに食事をしていない状態が続いている。

なのに、なのにだ。
こんなことがあっていいわけがない。

言いたくはないのだが、言うけれど体重が減らない。

なんでだろう?

日々身体を維持するためにも
最低限のエネルギーはいるだろう?
その上発熱しているとあっては頑張る必要もあるだろう?
ならばどうする?
どうぞ今こそ、この余分なところから必要以上に持って行っておくれ。

おい今、体重が減らないで、いつ減るというのだ。
今、この機会を逃したら永遠に訪れないかもしれないこの機会でさえ
見送るつもりでいるのか?
自分をなんだと思っているのだ?


そして、今日。
久々に若干、味覚も嗅覚も戻ってきた。
当然のように食欲も戻って来たがっている。


もう遅い・・・。

                                                             

2011年5月7日土曜日

だれ?

                                                      車で信号待ちをしていた。

横断歩道の左手から中年のおじさん。
右手からおばさん。

2人は丁度真ん中あたりですれ違った。

すれ違い様、おばさんはおじさんの腕をつかみ
大きな声で 「 わかれへんかった? 」 と言った。

おじさんは声こそ聞こえなかったけれど、全く気付かなかったという感じで
大きく何度かうなずいていた。

「 アハハハ 」 と豪快に笑いながらおばさんは自分の進むべき方に向かった。

私はおじさんを見ていた。

おじさんは、おばさんを何度も何度も振り返りながら、
その度に頭をかきながら大きく首を傾げていた。
おじさんは笑い声を残し去っていくおばさんを全く認識できていないのだ。
おじさんの困惑ぶりは、気の毒なほどだった。

それはそうだ。
私だって、母だとしても自信はない。

テレビの通販でもあのバージョンは見たことがない。
顎の下まで真っ黒なサンバイザーがついた帽子に後ろも肩まで黒い布が下がっている。
おばさんは私が思うにダースベーダーなのだ。

「 そら、わからんやろ 」 と言いながら助手席の犬に同意を求めると
犬は助手席に優等生のような姿勢で座っていた。

犬はおばさんだけを見つめていた。
緊張を緩めることなく、まばたきすることもなく・・・。
                                                            

2011年5月6日金曜日

協力的な犬

                                                      久しぶりに風邪で寝込んでしまった。
風邪自体、もう何年かぶりのことで、危ないと思っても
とにかく気合で回避してきたつもりだが
何とかは風邪をひかないということだけかもしれない。
少しかしこくなった私は
解熱剤が効く時間がわかるくらいに正確に体温が上下していた。

なので、私は何年かぶりに1日中お布団の中にいた。
うちの犬が来てから初めてのことだ。

この事態にうちの犬がどう出てくるかは全く想像できなかった。

口汚く罵られながら、起こされることになるのか
暴力的な実力行使にでてくるのか
自然の摂理としての実力行使でシラーッとでてくるのか
本当にわからなかった。
わからないまま、ひたすらその時がやって来るのを
恐れていた。

しかし、事実はこうだった。

犬はひたすら寝ていた。
毛布をガシガシどうしたいのかわからない形にすることなく
きれいに寝ていた。

食に関しては、大いにムラのあるいつもと違い、
大人しく毎食きちんきちんと食事した。
食器にガンガン迷子札をあてることもせずにだ。
「 食べたぞ~っ 」 っていちいち大声で言っても来なかった。

緊急用のトイレで静かに済ませてもいた。
その後もふざけたりはせず、大人だった。

お水を飲んだ後やって来ても、口はボトボトなんかではなく
全く乾いた状態のお上品な口元でいた。

たまに、横に寝たりもした。

横で甘えたりもした。


別犬だ。

やればできるのだ。
やっぱり、普段はしないと決めていただけだったのだ。


しんどい時に協力的な犬は本当に助かる。
そして普段から協力的なら、もっと助かる。