2011年6月9日木曜日

看護の不思議体験

                                                     犬や猫が病気などになった時
私は横にもならずに世話をすることが常で
勉強で徹夜どころか、僅かな睡眠不足も一切考えられなかったほどの私が
よくもまぁ、連日睡眠らしきものさえとらずにいるものだと
昔から、よく家族を驚かせていた。
それは自分でも不思議で
本当に寝ずにいても、心配と何とかしてあげたい気持ちとで
いつも睡魔にも襲われず、倒れることもなく乗り越えられるのだ。

高齢で腎不全になった猫の看病をしていた時もそうで
それこそトイレと猛ダッシュのお風呂の時に家族にお願いするだけで
あとはつきっきりの状態だった。
しかも眠っている猫の顔を覗き込む位の至近距離にいつもいて
私のまばたきによる風があれば、あたるくらいだったと思う。
もっとも、事実は鼻息かもしれないが・・・。

腎不全の為に、必要な点滴を連日行っていたものの
血管を確保している針が数日で使えなくなり
手、足の血管のローテーションになっていた。
でも、その猫は交通事故で片足を付け根から無くしていて
一巡するのが普通より早い。
いよいよ、使える血管が無くなった。

それまでも点滴を2度ほど、1日お休みする時もあったのだが
てきめんに腎臓の数値が悪化していたので
3、4日のお休みには、正直絶望しかなかった。

最初の朝、「 今日は病院には行かない 」 と宣言し
部屋の空気を入れ替えて、アロマを使ったり、
音楽を聴いたり、日向ぼっこをしながら一緒にウトウトしたりで
不安はあるものの、絶望的な気分が消えてくるくらいに
不本意ではあったもののリフレッシュしていて
すると、なんだか猫の方もいい感じに思えたのだ。

そうして、4日経ったが
食事もできなかった猫が少し食べることができるようにもなっていたので
私は1週間おくことにした。
毎日病院へと出かける時、猫はイヤだとはっきり言っていた。
もうイヤだという鳴き方で訴えていた。
だから余計にもう少しお休みさせてあげたかった。

そして、1週間。
猫は数値も正常に近い位に良くなっていた。
検査したのは元気になった裏付けが欲しかったからで
それは誰の目にも明らかな位だった。
一緒に働いたことのある先生なので言われたが
先生も正直、ダメだと思ったそうだ。

それからネコちゃんは21歳まで元気に暮らした。

( 猫は事故の時に病院に運ばれ2度の手術の後、
足を失うことになるのだが、リハビリの段階からうちの猫となり
名前の無かった猫を入院中にネコちゃんと呼んでいたので、
それがそのまま名前になった。 )

腎不全で非常に数値の高かったネコちゃんが
一時だけでなく、その後も良い状態のまま長生きできたのは
本当に珍しいことだと思う。

それが私には不思議でもあり、何の不思議もないことでもある。

連日連夜、疲れ切った私の顔が
目覚める度に超ドアップで見えていたなら
きっとネコちゃんも、自分のせいで私が辛い思いをしていると
苦しんでいたのではないだろうか。
私が鬼のような形相でいることが悲しかったのではないだろうか。

このことが、それからの私を変えたと思う。
今も相変わらず、いざという時は寝ないで看病するのだが
自分自身を追い詰めてしまうことがないよう
どこかで、必ず気分を変える努力をしている。
神経をすり減らさないこと、心を頑なにしないこと。
努力しないと心配と不安が勝ってしまうのだから仕方がない。

それが、逆にあのコたちに心配や不安を与えないことにつながる。
大切なことだ。
何より大切なことだから、自分に言い聞かせている。
                                                                                                                         

0 件のコメント:

コメントを投稿