私が動物病院の看護士をしていた時代に、
重篤な状態の猫が入院していました。本来なら、家族の元で最期を過ごすのが 何よりのはずですが、
小学1年生位の子供さんに、
死に際を見せたくない
そういう理由で家庭に連れ帰るのを拒否されたのです。
先生とのお話の後、その猫は病院の猫となりました。
それからしばらくして、
意識も無くなりつつあったその猫を看ていた、
丁度その時に、子供が猫の名前を呼んで入って来ました。
「 会いに来たの? 」と尋ねました。
すると、「 今から仔犬を買いに行くの、バイバイ 」と、
笑顔で、元気いっぱい走り去ってしまいました。
私は自分自身に腹が立ちました。
尋ねた私への腹立たしさと、後悔でいっぱいになりなりました。
ただただ猫の耳には届かなかったことを、
そして、( こんな状況でさえ ) あのコが家族を愛しているなら、
( 悲しいことに、それでも愛しているに違いないのです )
名前を呼ばれた、ただそれだけがあのコの耳に届き、
心に深く残りますよう…。
ただただそれを祈るばかりでした。
そして、( こんな状況でさえ ) あのコが家族を愛しているなら、
( 悲しいことに、それでも愛しているに違いないのです )
名前を呼ばれた、ただそれだけがあのコの耳に届き、
心に深く残りますよう…。
ただただそれを祈るばかりでした。
私が動物の仕事という世界に入ったばかりの若い頃のお話です。
そして、今も忘れることのない出来事の一つです。
私自身は、今も勿論親心としても理解しかねます。
ただ子供のことを考えた時に、実際に子供は親に何と聞いていて、
どう思っていたのかがわからないのではないか…。
と思うようになりました。
もしかしたら、子供にとって、
とっても嬉しい出来事を仲良しの猫に教えてあげよう、
そう思っていたのかもしれません。
そう思いたいから願っているのかもしれません。
そしてもしも、それが真実だとしたら・・・
より一層、切なくなったりするのです。
お昼間に見えるお月さまは
あのコたちを想う、入り口になります。
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